歷史沿革
清水寺是京都最古老的寺院,被列為日本國寶建築之一。
清水寺的由來是公元778年(寶龜9年),從延鎮上人在音羽的瀑布上參拜觀音而開始的。到了延曆17年(798年),坂上田村麻呂改建為佛殿,從此成為恆武天皇的敕願寺。
清水寺的山號為音羽山,主要供奉千手觀音。
占地面積為13萬平方米,慈恩大師創建。
相傳慈恩大師是唐僧玄奘在日本的第一個弟子。現存清水寺為西元1633年由德川家康捐資重修的。原屬法相宗,現自立為大本山北法相宗。清水寺與金閣寺(鹿苑寺),嵐山等是京都最為著名的名勝古蹟,四季朝拜者不斷。另與石山寺(滋賀縣大津市),長谷寺(奈良縣櫻井市)等自古以來做為日本為數不多的觀音靈地而聞名,平安時代以來,經常出現於日本文學作品當中。1994年,作為古京都文化遺產的一部登錄於世界遺產名錄上。是西國三十三個所(在關西地區參拜33所觀音廟的巡訪活動)中第16所寺廟。
清水寺因寺中清水而得名,順著奧院的石階而下便是音羽瀑布,清泉一分為三,分別代表長壽,健康,智慧,被視為具有神奇力量,遊客路經此地一定會來喝上一口水,據說可預防疾病及災厄. 相傳延鎮上人於778年在此開山後,由大將軍坡上田村麻呂於798年興建。現存的大部分建築始建於公元1633年,被定為國寶的主堂是由139根立柱支撐的,宛如碩大的舞台,又稱“清水舞台”。本堂的下方有著名的“音羽瀑布”,與祈求分娩順利的“子安塔”,後者被列為世界文化遺產,清水寺建於音羽山上,為日本佛教北法相宗的總院。寺院周圍是京都的名勝古蹟,春天櫻花盛開,秋天紅葉似火。
寶亀安政
年號 西曆 內容
寶亀9 778大和子嶋寺の賢心、夢告により清泉を尋ねて音羽の滝に至り、永年修行の行叡居士に観音霊木を受け雕像奉祀し寺を創建。
寶亀 11 780 坂上田村麻呂公、音羽の滝の清水に導かれて滝上に止宿・練行中の賢心に遭い、観音に帰依して仮仏殿を造立し、十一面千手観世音菩薩を安置、寺を創建。賢心、名を延鎮と改める。
延暦 14 795 延鎮の師、子嶋寺開祖の報恩大師、寂。延鎮、子嶋寺二世住職を兼務する。
延暦 17 798 田村麻呂公、
延鎮上人と力を合せ、更に伽藍を造替え、本尊金色八尺の千手観音像、脇侍に、地蔵菩薩・毘沙門天像を安置する。
弘仁1 810 鎮護國家の道場となり、「北観音寺」の法號を賜い、「清水寺」の額を掲げる。
弘仁 12 821 6月17日、開山・延鎮上人、入寂。
承知 14 847 嵯峨天皇・皇子誕生祈願により葛井親王、三重の塔を創建。
承平7 937 轟門に多聞天・持國天を奉祀する。
長保1 999 清水寺・上綱、名說教僧の清范(962~99)入寂。
○奈良・興福寺の末寺関系を強める。
○藤原道長の「御堂関白記」や「源氏物語」「枕草子」などに清水寺參詣・參籠盛行の様子が記される。
○南都・興福寺と北嶺・延暦寺の抗爭によって、興福寺の最前線に立たされ続ける。
康平6 1063 8月、火災に遭い堂宇焼失。翌年6月、落慶法要を修す。願文は藤原明衡の起草(「清水寺縁起」を記述す)。
寛治4 1090 白河上皇・てい子內親王行幸、7日間參詣される。翌年、本堂以下全焼。
○「今昔物語」に清水寺観音の霊験物語十話が載る。
○藤原成通が本堂舞台の欄幹上を蹴鞠で往復する。
永萬1 1165 比叡山僧兵が大挙來襲、本堂以下ことごとく焼き討ちす。
治承3 1179 5月、祇園社・神人ら襲來し一山烏有に帰す。
文治4 1188 阿彌陀堂において、法然上人、不斷念仏を修し「日本最初・常行念仏道場」となる(法然上人ニ十五霊場・第十三番霊場)
○「新古今集」に清水の観音を詠んだ和歌ニ首が収められる。
承久2 1220 3月、本堂・釈迦堂・三重塔が焼失。
○「平治物語」「平家物語」に清水寺信仰が記述される。
正元1 1259 4月、火災の為、本願堂・塔二基・中門・西門・地蔵堂・二社など焼失。
文永11 1274 12月、火災により本願堂・塔二基・大門・西門・車寄など焼失。
建武2 1335足利尊氏(1305~58)、相模國糟屋荘を寄進。
翌年、自身の安楽世と弟直義の今生果報を祈る願文を奉納
応永 29 1422 15年前に落雷焼失した諸堂、落慶供養。
○謠曲(能)「田村」「盛久」「熊野」、狂言「おちゃのみづ」「ゐぐい」「いもじ」や、說話「一寸法師」「梵天國」「閒吟集」などに沢山取材される。
文明1 1469 7月、本堂・塔以下の諸堂、応仁の亂の兵火に遭い焼失。
文明 10 1478 4月、願阿上人の大勧進により梵鍾を鋳る。
文明 11 1479 願阿上人、勧進狀・奉加帳を作り、西日本全域に諸堂復興の勧進活動を開始。16年、諸堂落慶。
永正7 1510 朝倉貞景、法華三昧堂(朝倉堂)を寄進。
永正 14 1517 「清水寺縁起絵巻」製作さる(土佐光信畫、中御門宣胤ら筆)
天文 17 1548 4月、三重塔落慶供養あり。
○「清水寺參詣曼荼羅」描かれ、寺僧の全國布教盛んとなる。
○武田信玄の願文が奉納される。
天正 17 1589 豊臣秀吉、寺領寄進、門前境內地子免除の朱印狀を下す。
慶長 12 1607 鐘樓再建さる。
○「洛中洛外図」に名所として必ず描かれる。
○江戸幕府より、所領安堵の朱印狀を受ける。
寛永6 1629 9月、本堂以下焼失、春日社・鐘樓・仁王門・馬駐ら殘る。
寛永8 1631 2月、徳川家光、清水寺の再建を発願、西門・釈迦堂再建され、翌年、三重塔も再建。
寛永 10 1633 11月、本堂・奧の院その他の諸堂も再建さる。
○扁額絵馬「末吉船図」「角倉船図」ら奉納される。
寛永 16 1639 成就院が再建され、庭園も修築される。
○三職(執行ー寶性院、目代ー慈心院、本願ー成就院)、五院(義乗院・延命院・智文院・光乗院・円養院)の運営體制をとる。
○歌舞伎・人形浄瑠璃に清水物あり、扁額絵馬の奉納多くなる。
元祿4 1691 オランダ商館員ケンペル來山。
享保3 1718 盛松権律師、慈心院を再興。
享保 18 1733 慈心院・隨求堂に大隨求菩薩坐像を奉祀。
文政9 1826 シーボルト來山、岸駒「虎の図」石燈篭奉納。
天保6 1835 忍向、成就院第二十四世住職となる。弟の信海、高野山に上り、真言密教と子島流を修學。
嘉永7 1854 信海、成就院第二十五世住職となる。忍向(月照)隠居し、近衛忠熙公に歌道入門、勤皇活動をする。
安政5 1858 11月16日、忍向、西郷隆盛と共に錦江灣に入水し入滅。
安政6 1859 3月16日、信海、江戸小冢原にて獄死。
明治
明治1 1868 神仏分離令が出され鎮守の地主権現社が「地主神社」として分離獨立する。
明治3 1870 寺社領上地令によって境內地が1/4(約13萬㎡)に縮小される。
明治5 1872 8月、京都府が舞台からの飛びおり禁止令を出す。
明治 18 1885 法相宗へ復帰。
明治 30 1897 本堂(舞台を含む)、特別保護建造物(國寶)に指定される。
明治 35 1902 6月、本堂大修理完成し、16日間、本尊御開扉法要。
明治 36 1903 木造十一面観音立像、重要文化財に指定される。
明治 40 1907 渡海船(末吉・角倉船)図の絵馬四面、重要文化財に指定される。
明治 41 1908 西門・鐘樓、國寶…特別保護建造物に指定される。谷口香轎「殘月山姥の図」を寄進。
大正
大正3 1914 大西良慶和上、
奈良・興福寺より兼務住職で晉山。翌年8月1日~5日、盂蘭盆會法話を開始。
大正7 1918 百體地蔵堂新築。富田渓仙「鬼子母神」「伎芸天」寄進。
大正 15 1926 本堂舞台修理完成落慶法要。能楽奉納される。阿彌陀堂修理。
昭和
昭和9 1934 9月、室戸颱風により音羽山全山樹木倒れ、本堂西迴廊倒壊。
昭和 18 1943 成就院・庭園、名勝に指定される。
昭和 23 1948 開山堂・奧の院・仁王門・西門を修理。
昭和 25 1950 本堂舞台大修理完成。西門・鐘樓、木造十一面観音・毘沙門天像・渡海船図絵馬四面、重要文化財に指定される。
昭和 27 1952 舞台を含む本堂、國寶に指定され、馬駐、重要文化財に指定される。
昭和 32 1957 鉄鱷口、重要文化財に指定される。
昭和 40 1965 北法相宗を立宗。大西良慶和上、初代管長に就任。境內、古都保存地區に指定される。
昭和 41 1966 仁王門・三重塔・経堂・開山堂・轟門・朝倉堂・釈迦堂・阿彌陀堂・奧の院・子安の塔・北総門・春日社の十ニ堂塔、重要文化財に指定される。北法相宗・仏教文化講座(唯識法話)定例月2回開始。
昭和 42 1967 本堂・奧の院、修理完成し本尊御開扉法要厳修。
昭和 47 1972 7月、豪雨により釈迦堂倒壊。
昭和 50 1975 釈迦堂復舊落慶法要。木造大日如來坐像、重要文化財に指定される。
昭和 51 1976 伝観音・勢至菩薩立像、重要文化財に指定される。本堂西廻廊落慶。
昭和 53 1978 梵鍾、重要文化財に指定される。
昭和 58 1983 2月15日、大西良慶管長入寂(數え109歳)
昭和 59 1984 大講堂落慶法要。仏足石奉祀。
昭和 60 1985 朝比奈草折曳図絵馬、重要文化財に指定される。
昭和 62 1987 三重塔解體修理・彩色復元落慶。
平成
平成1 1989 開創1200年記念「京都・清水寺展」開催(東京・名古屋・大坂・新潟・富山・福岡・京都・高松・札幌,本山で平成3年10月まで開催)。
平成2 1990 本堂舞台・奧の院舞台、全面張替え落慶。寺史編纂委員會発足。
平成4 1992 春季・夜の特別拝観を開始
平成5 1993 千日詣り宵參り復活。
平成6 1994 西門檜皮屋根葺き替え・彩色復元落慶。訪中仏跡巡拝団、宗祖・慈恩大師墓塔參拝。
平成8 1996 阿彌陀堂彩色復元落慶
平成9 1997 中興堂落慶
平成 12 2000 経堂解體修理落慶。御本尊御開帳(3/3~12/3)。
平成 13 2001 御本尊御開帳記念「京都・清水寺展」開催(東京・名古屋・大坂)。
平成 14 2002 御本尊御開帳記念「京都・清水寺展」開催(熊本・鹿児島・盛岡)。
平成 15 2003 寛永再建370年記念奧の院御本尊御開帳(3/7~12/7)。
交通信息
公交
在JR【京都】站轉搭往【東山通北大路公車總站】(東山通北大路バスターミナル)的市公車206號,在【五條坂】站下車,徒歩約10分鐘即可抵達。
在JR【京都】站轉搭往【清水寺只園 銀閣寺】的市公車100號,在【五條坂】站下車,徒歩約10分鐘即可抵達。
在JR【京都】站轉搭往【大原】的京都公車18號,在【東山五條】站下車,徒歩約10分鐘即可抵達。※京都公車唯有在周末及日本國定假日行駛。
電車
在京坂電氣鐵道京坂本線【只園四條】站或坂急電鐵京都線【河原町】站轉搭往【福寺・九條車庫】市公車207號,在【清水道】站下車,徒歩約10分鐘即可抵達。
在京坂電氣鐵道京坂本線【只園四條】站或坂急電鐵京都線【河原町】站轉搭京坂公車83、85、87或88號,在【清水道】站或【五條坂】下車,徒歩約10分鐘即可抵達。
由京坂電氣鐵道京坂本線【清水五條】站徒歩約25分鐘即可抵達。
在京坂電氣鐵道京坂本線【七條】站轉搭往【東山通北大路公車總站】的市公車206號,或轉搭往【清水寺只園 銀閣寺】的市公車100號,在【五條坂】站下車,徒歩約10分鐘即可抵達。
自駕
在名神高速【京都東交流道】下高速公路,8公里約20分鐘即可抵達。
主要景點
清水寺(Kiyomizu Temple)內有一瀑布,名音羽瀑布,流水清洌,終年不絕,其清泉分為三個部分,據說每個部分都有神奇的力量,分別為長壽、智慧、健康,如果遊客經過此地的話一定要喝上一口喔。該清泉被列為日本十大名泉之首,清水寺的寺名也因此而來。清水寺正殿供奉著十一面千手觀音立像,每年日本清明節時才會對外開放,讓遊人以及前來祭拜的本地人參觀。
建築風格
清水寺本堂正殿供奉著十一面千手觀音立像,每年日本清明節時才會對外開放,讓遊人以及前來祭拜的本地人參觀
三重塔,經堂,開山堂,轟門,朝倉堂,本堂,阿彌陀堂。周圍的建築有仁王門,馬駐,鐘樓,北總門。
寺廟中心的本堂是寬永10年(1633年)修建的建築物,名為清水舞台。展現出它雄大壯麗的姿態。除了這些建築物之外,境界內的東邊設有引用江戶時代初期的技法來修建完成的成就院庭院。
由於日本古時除了東、西兩大願寺可蓋在京城內之外,所有的廟宇神社都只能依山而建,而清水寺坐落在山腰上,落差極大,這座完全木造的寺院總面積達13萬平方米之廣,其內最有名的「清水舞台」,離地五十公尺高卻只靠139根木柱支撐結構,可見當年工程之浩大與艱巨!參觀清水寺時,一路拾階而上,除了參拜諸神,憑欄遠望,更可將京都市景盡收眼底。
宛如古都的風物詩般,清水寺外圍的一景一色,完完全全的將京都的風采表露無疑,無論是春天的櫻花,夏天的瀑布,秋天的紅葉或是冬天的細雪,清水寺都彷佛是為了證明京都而存在的一般,無時無刻吸引著人們流連忘返。清水寺樸素的正殿陽台突出於斷崖之上,因為環境優美而成為跳樓自殺者的首選之地。清水寺的西門建於西元1607年,建築外觀色澤鮮艷、雕刻細緻有加;建築形態呈單層八柱,屋頂屬於"切妻"式建築。
從清水坂前往清水寺道路兩側,除了有京都傳統木造住宅林立外,沿途還有古老的神社和寺廟,無不充滿寧謐與靜穆氣氛。古時候來到清水寺參拜的武士,通常先把馬匹栓在仁王門前面清水坂上的馬廄里,因此這個馬廄就成為室町時代遺留至今的建物。
清水寺為棟樑結構式寺院。正殿寬19米,進深16米,大殿前為懸空的"舞台",由139根高數十米的大圓木支撐。寺院建築氣勢宏偉,結構巧妙,未用一根釘子。寺中六層炬木築成的木台為日本所罕有。寺內有近30棟木結構建築物,有正殿、鐘樓、三重塔、經堂、地方神社、成就園等。正殿列為日本國寶級文物。它依山而起,殿寬19米,進深16米,殿頂鋪有數層珠形的檜樹皮瓦。
前部是由139根高大圓木支撐的"舞台",氣勢雄偉。舞台的建築,巍峨地聳立於陡峭的懸崖上,景色自是美妙,失足掉落下去祉休想揀得命來,以至日語裡誕生出一條成語來:"從清水的舞台上跳下去",用來形容毅然決然地做某一件事。從"舞台"放眼望去,大半個京都的景色盡收眼底。如天氣晴朗,還可以遠眺大坂。殿旁有一眼清泉,被稱為金水,傳說,掬飲金水就能一切如願。寺內另外16棟建築也屬國家重點檔案,其外形各具特色,與正殿相映成趣。寺中的音羽瀑布,流水清洌,終年不絕,被列為日本十大名泉之首,清水寺之名也由此而來。
清水寺的後側,有一處叫地主神社的小神社,神社和寺廟,本是風馬牛不相及的兩個宗教的頂禮膜拜場所,湊在一起也許是唯有在日本才能見到的景觀。作為平安時代的代表性建築,後來遭受了多次火災的毀壞,在1633年重新建造。這裡也是欣賞楓葉和櫻花的極佳之地,並以它的清澈池水而著名。
建築
仁王門,下馬台(うまとどめ),西門,三重塔,鐘樓
經堂,田村堂(開山堂),朝倉堂,鎮守堂,北正門,轟門,釈迦堂,阿彌陀堂,內院,子安塔,地主神社本殿・拜殿・正門
美術工藝品
木造千手觀音坐像(內院正尊) 木造十一面観音立像 木造傳・觀音勢至菩薩立像 木造大日如來坐像 木造毗沙門天立像(塔頭慈心院所有) 渡海船額(末吉船圖・角倉船圖) 板繪朝比奈草折曳圖(傳・長谷川久藏筆) 鐵鱷口梵鍾。旅遊指南
交通:在J R「京都」站轉乘市營巴士206系統約10分鐘,在「清水道」站下 車,徒步約10分鐘即可到達。
・京坂電鐵「五條」站下車 徒步約20分鐘。 開放時間: 6:00~18:00,春秋季夜間開放18:30~21:30
票價:成人、高中生300日圓,中、國小生200日圓(春秋季夜間參拜400日圓)
相關建築
清水寺(きよみずでら、せいすいじ)
1.京都府京都市東山區にある寺院、音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)。解說は別項清水寺 (京都市)を參照。
2.大坂府大坂市にある寺院、有棲山清水寺。新西國霊場客番、摂津國八十八個所第26番、近畿三十六不動尊霊場第2番。
千葉県いすみ市岬町にある寺院。音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)。一名清水観音。坂東三十三個所第32番札所。公式ホームページ
兵庫県加東市にある天台宗の寺院、御嶽山清水寺(みたけさんきよみずでら)。西國三十三個所第25番札所、播州薬師第10番札所。解說は別項清水寺 (加東市)を參照。
島根県安來市清水町にある天台宗の寺院、瑞光山清水寺(ずいこうさんきよみずでら)。出雲観音霊場、中國観音霊場。牛若丸に出會う前の若き日々に武蔵坊弁慶が修行したことでも有名。公式ホームページ
新潟県佐渡市にある真言宗の寺院、東光山清水寺(とうこうざんせいすいじ)。大同3年(808年)に京都音羽山清水寺を模して建立され、その舞台を模した救世殿がある。佐渡四國八十八ヶ所霊場74番札所。公式ホームページ
國內寺院
清水寺,電子科技大學清水河校區的別稱,由於其坐落在清水河附近並喻該校儘是光棍而得名;在該校教職工和學生之間得到廣泛的承認。該校學生將學校標誌性建築主樓稱呼為大雄寶殿,將圖書館稱呼為藏經閣,將品學樓(教學樓)稱呼為講經堂,將實驗樓稱呼為習武堂,將學生公寓稱呼為禪房等。又將各學院樓分別戲稱為觀音殿(通信學院)、地藏殿(機械學院)、文殊殿(文學院)等不一,然而此說法未經過大多數同學的認可。
該校的學生以和尚自稱。本科學生叫善男子,比喻是初信佛教的人;碩士學生叫居士或者行者,表示具有一定的佛學覺悟,然而限於條件仍然無法全心侍佛;博士學生叫做沙彌,已經立志禮佛;獲得博士學位叫做受戒,表明該沙彌已經獲得了一定的佛學水平,具有獨立佛學研究能力。
然該說法僅為學生戲稱,聞者一笑了之,不必深究;若有不周,萬望海涵。