官歴
保元元年(1156年)8月29日、元服し、正五位下に敘位。9月8日、左近衛権少將に任官。9月17日、左近衛権中將に転任。11月28日、従四位下に升敘し、左近衛権中將如元。保元2年(1157年)1月24日、従四位上に升敘し、播磨権守を兼任。左近衛権中將如元。6月25日、正四位下に升敘し、左近衛権中將・播磨権守如元。8月3日、禁色を許される。8月9日、従三位に升敘し、左近衛権中將如元。8月19日、権中納言に転任し、左近衛権中將如元。8月21日、正三位に升敘し、権中納言・左近衛権中將如元。保元3年(1158年)3月1日、従二位に升敘し、権中納言・左近衛権中將如元。保元4年(1159年)1月2日、正二位に升敘し、権中納言・左近衛権中將如元。改元して平治元年12月2日、橘氏長者宣下(藤原氏兼帯の例)平治2年(1160年)2月28日、権大納言に転任。8月11日、內大臣に転任。8月14日、左近衛大將を兼任。応保元年(1161年)9月13日、右大臣に転任。9月15日、左近衛大將如元。長寛2年(1164年)閏10月23日、左大臣に転任。閏10月26日、左近衛大將如元。永萬2年(1166年)7月27日、摂政宣下、藤原氏長者宣下。左大臣・左近衛大將如元。8月17日、左近衛大將を辭任。改元して仁安元年11月4日、左大臣を辭任。仁安2年(1167年)2月11日、従一位に升敘し、摂政・藤氏長者如元。嘉応2年(1170年)12月14日、太政大臣宣下、摂政如元。承安元年(1171年)4月22日、太政大臣を辭す。承安2年(1172年)12月27日、摂政を止め、関白宣下。準摂政宣下。治承3年(1179年)11月17日、解官。11月18日、大宰権帥に遷任し、大宰府へ配流。11月21日、出家し、法名:善観。備前國へ配流先変更。治承4年(1180年)12月2日、帰洛し、嵯峨の地に居を構える。寛喜2年(1230年)12月28日、薨去。享年87 中山院また、菩提院と號す。
系譜
父:藤原忠通母:源俊子 - 源國信の娘正室:藤原公教の娘 男子:藤原隆忠(1163-1245)妻:藤原公教の娘(隆忠母の妹) 男子:藤原家房(1167-1196)妻:藤原忠子(藤原忠雅の娘) 男子:松殿師家(1172-1238)女子:藤原壽子 - 藤原良経室妻:堀川局(藤原行雅の娘) 男子:松殿忠房(1193-?)妻:藤原公保の娘 男子:兼寛妻:民部大輔家実(姓不明)の娘(家女房) 男子:仁慶(1175-1229)妻:二條院典侍督局 男子:道弘生母不明: 男子:聖尊男子:尊譽男子:尊澄男子:良観男子:実尊(1180-1236)男子:承円(1180-1236)男子:行意(1177-1217)男子:最守女子:藤原伊子 - 源義仲側室、後に源通親側室、道元の生母とされる女子:一條高能室女子:八條院女房西御方 - 藤原公明室