藤原忠通

男子:信円(1153-1224) 女子:藤原育子(1146-1173) 男子:藤原兼房(1153-1217)

藤原 忠通(ふじわら の ただみち、承徳元年閏1月29日(1097年3月15日) - 長寛2年2月19日(1164年3月13日))は、平安時代後期の公卿。摂政関白太政大臣藤原忠実の長男。従一位・摂政・関白・太政大臣。法性寺殿と號す。同母姉に高陽院藤原泰子、異母弟に藤原長がいる。

系譜

父:藤原忠実
母:源師子 - 源顕房の娘
正室:藤原宗子 - 藤原宗通の娘
女子:藤原聖子(1122-1182) - 崇徳天皇中宮、皇嘉門院
妻:源信子 - 源國信の娘、従二位・典侍
男子:近衛基実(1143-1166)
妻:源俊子[5] - 源國信の娘
男子:松殿基房(1145-1231)
男子:信円(1153-1224)
男子:最忠
妻:源俊子 - 源顕俊の娘
女子:藤原育子(1146-1173) - 二條天皇中宮、六條天皇養母、実は徳大寺実能の娘の說あり
妻:家女房加賀局 - 藤原仲光の娘
男子:九條兼実(1149-1207)
男子:道円(1151-1170)
男子:藤原兼房(1153-1217)
男子:慈円(1155-1225)
妻:藤原基信の娘
男子:恵信(1114-1171)
妻:家女房五條 - 源盛経の娘
男子:尊忠(1150-?)
生母不明
男子:覚忠(1118-1177)
養女:藤原呈子(1131-1176) - 近衛天皇中宮、実は藤原伊通の娘

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