青森的佞武多節,在每年的8月1日夜到8月7日一直舉行青森夏季描寫風景的詩歌。用竹子和木材作為燈籠的骨架,粘上紙張,畫上【三國志】里的英雄的故事,做上數十個,最後把燈籠放入大海,祭祀結束。根據【佞武多的傳說】里,把先祖之靈放入盆里迎接祭祀。
起源から復活までの軌跡
青森県を代表する夏の祭り「ねぷた」は、古くは中國から伝わった「中元」の行事が起源といわれ、400年以上もの間、津軽地方を中心に受け継がれて來た火祭りです。その一角をなす五所川原市のねぷたは、現在「たちねぷた」と呼ばれています。この巨大ねぷたが、五所川原の記録に登場するのは、明治40年頃といわれています。
當時、県內にその名を轟かせた「布嘉」などの豪商、大地主の力と象徴として、巨大ねぷたは高さを夸るようになり、約10~12間(約18~21.6m)に及ぶようになりました。その勇姿は、近隣の町村からも見えたと言われるほど巨大なものでした。この頃のねぷたの題材は、中國の三國志や日本の歌舞伎などの歴史上の人物が多かったと言われています。
しかし、大正時代になり電気が普及し、ねぷたは小型化の一途をた どりました。また、戦後に起きた2度の大火で街が全焼したことにより、設計図や寫真が消失し、巨大ねぷたは姿を消しました。
ところが、1993年に當時の設計図と寫真が発見され、翌1994年に は市民劇団「橇の音」により高さ7mのねぷたが復元されました。その後1996年に市民有志により「たちねぷた復元の會」が結成され、1998年、80年ぶりに「五所川原たちねぷた」が復活をなしとげました。
本文來源於【日語家園】
作者:兔書僧