詔書概述
內容概要
日語原名:大東亜戦爭終結ノ詔書
假名:だいとうあせんそうしゅうけつのしょうしょ
詔書主要由當時日本首相鈴木貫太郎起草,迫水久常、川田瑞穗、安岡正篤執筆完成,其他內閣大臣亦曾參與修訂。為了爭取免除天皇裕仁的戰爭責任以及保護日本天皇制,也包括試圖減少國內強硬派引發危機的可能。詔書在措辭上採取了諸多手段,諸如模糊化日本發動的侵略戰爭的實質;規避日本對亞洲諸國的戰爭責任,只將對象限制在美、英兩國;且將裕仁作為日本軍隊最高統帥的責任轉嫁給日本政府。
詔書宣讀
詔書在1945年8月14日由昭和天皇親自宣讀並錄音,次日通過NHK電台廣播,這是日本天皇的聲音首次向日本普通公眾播出,天皇的錄音被稱為“玉音”,“放送”是日語“廣播”的意思,故稱“ 玉音放送”(假名:ぎょくおんほうそう 羅馬字:Gyokuon-hōsō。
決定終戰
在1945年8月10日,日本內閣與天皇裕仁經過8月9日的御前會議,最終當日凌晨6時由日本政府照會中立國瑞士、瑞典駐日大使將日本決定投降的訊息傳達給兩國政府,並經過他們將電報送到中、蘇、美、英四國政府。這是最早透露日本投降的意圖。不過主戰派的少壯軍官在東京製造假訊息,試圖掩蓋這一事實。於是日本外務省大臣重光葵在清晨7點30分親自在電台中宣布了這一訊息。但實際上由於日本最高元首天皇尚未公開接受《波茨坦宣言》,參加對日作戰的美國、蘇聯、中國依然沒有停止他們的軍事活動。但世界各國基本上都在第一時間得到了日本政府表示投降的訊息。
玉音放送
日本昭和天皇裕仁在他的辦公室內錄製《終戰詔書》。雖然裕仁天皇已經在10日下令結束戰爭,但包括陸軍相阿南惟幾、參謀長梅津美治郎、神風特攻隊軍團長大西瀧治郎等強硬派與日本前內閣首相米內光政 、外相重光葵、內大臣木戶幸一等主和派依然沒能就投降的相關事宜達成一致。
8月14日上午10時30分,天皇召開了最後一次御前會議,面對依然沒有達成共識的主戰、主和派,裕仁決定下令停止爭吵,並要求內閣首相鈴木起草詔書,準備結束戰爭。最終《終戰詔書》完筆,其中一份送呈天皇,決定於8月15日將詔書公告世界。天皇在子夜時分來到他的辦公室進行詔書的錄音,於凌晨1時時分結束錄音。由於內大臣木戶幸一得到了陸軍部有人策劃叛亂的訊息,下令將錄製好的唱片藏匿起來。
8月15日凌晨,為終止裕仁天皇終戰詔書的放送,陸軍軍官竹下正彥、椎崎二郎等叛亂軍官殺掉了近衛師團長森赳中將,並假借近衛師團長的名義發布軍事動員令,並一度控制了皇室宮殿。但他們還沒有找到唱片,東部軍(負責日本關東地區國防事務的日本陸軍)田中靜一大將便平息了叛亂(有說法是裕仁天皇出面解決了叛亂),而叛亂的首謀大多以自殺告終。12時,廣播員和田信賢向聽眾放出整點報時後,“玉音放送”在日本廣播協會的放送室播放。
影響
玉音放送是日本絕大部分民眾第一次聽到被神化為天皇的國家最高元首的聲音,在播放後包括陸軍相阿南惟幾、航空技術部總長偎部正美等34名將官切腹自殺。幾乎是在播放後同一時間,太平洋戰場的戰爭幾乎就結束了。
而在亞洲陸上戰場,日本軍隊與各地武裝力量的衝突並沒有完全停止。在中國,部分侵華日軍拒絕向中國國民黨、中國共產黨以及在東北的蘇聯紅軍投降,繼續進行著各種軍事行動。直到1945年9月2日日本代表在美國戰列艦密蘇里號上籤字才算名義上結束。
關於第二次世界大戰在日本究竟是投降還是終止戰爭都在日本是一個受爭議的話題。此外由於各種原因,反法西斯同盟國4大國家均接受了終戰詔書,並保留了天皇制。
詔書文本
中文版
中文版本由鈴木貫太郎內閣委託漢學家川田瑞穗起草如下:
朕深鑒於世界大勢及帝國之現狀,欲採取非常之措施,收拾時局,茲告爾等臣民,朕已飭令帝國政府通告美、英、中、蘇四國,願接受其聯合公告。
蓋謀求帝國臣民之康寧,同享萬邦共榮之樂,斯乃皇祖皇宗之遺範,亦為朕所眷眷不忘者;前者,帝國之所以向美英兩國宣戰,實亦為希求帝國之自存於東亞之安定而出此,至如排斥他國之主權,侵犯他國之領土,固非朕之本志;然交戰已閱四載,雖陸海將兵勇敢善戰,百官有司勵精圖治,一億眾庶克己奉公,各盡所能,而戰局並未好轉,世界大勢亦不利於我。加之,敵方最近使用殘酷之炸彈,頻殺無辜,慘害所及,實難逆料;如仍繼續作戰,則不僅導致我民族之滅亡;並將破壞人類之文明。如此,則朕將何以保全億兆赤子,陳謝於皇祖皇宗之神靈乎!此朕所以飭帝國政府接受聯合公告者也。
朕對於始終與帝國同為東亞解放而努力之諸盟邦,不得不深表遺憾;念及帝國臣民之死於戰陣,殉於職守,斃於非命者及其遺屬,則五臟為之俱裂;至於負戰傷,蒙戰禍,失家業者之生計,亦朕所深為軫念者也;今後帝國所受之苦固非尋常,朕亦深知爾等臣民之衷情,然時運之所趨,朕欲忍所難忍,耐所難耐,以為萬世之太平。
朕於茲得以維護國體,信倚爾等忠良臣民之赤誠,並常與爾等臣民同在。若夫為情所激,妄滋事端,或者同胞互相排擠,擾亂時局;因而迷誤大道,失信義於世界,此朕所深戒。宜舉國一致,子孫相傳,確信神州之不滅。念任重而道遠,傾全力於將來之建設,篤守道義,堅定志操,誓必發揚國體之精華,不致落後於世界之進化,望爾等臣民善體朕意。
復文版本
朕深鑒世界大勢與帝國現狀、欲以非常措置收拾時局、茲告忠良爾臣民:
朕使帝國政府、對米、英、支、蘇四國、旨通告受諾其共同宣言。
抑圖帝國臣民康寧、偕萬邦共榮之樂者、皇祖皇宗之遺範、而朕之所拳拳不措所也。曩所以宣戰米英二國,亦實出於庶幾帝國自存與東亞之安定。如排他國主權侵領土、固非朕志也。然交戰已閱四歲、朕陸海將兵之勇戰、朕百僚有司之勵精、朕一億眾庶之奉公、各不拘於盡最善、而戰局必不好轉、世界大勢亦非利我。加之敵新使用殘虐爆彈、頻殺傷無辜、慘害所及、真至不可測。而尚繼續交戰、終非但招來我民族之滅亡、延可破卻人類文明。如斯、朕何以保億兆赤子、謝皇祖皇宗之神靈哉。是朕使帝國政府、應共同宣言所以至也。
朕對帝國與共終始協力於東亞解放諸盟邦、不得不表遺憾之意。於帝國臣民、死戰陣、殉職域、斃於非命者、及其遺族致想、五內為裂。且至負戰傷、蒙災禍、失家業者之厚生、朕之深軫念所也。惟今後帝國之受苦難、固非尋常、爾臣民之衷情、朕善知之。然朕時運所趨、堪難堪、忍難忍、欲以為萬世開太平。
朕茲得護持國體、信倚忠良爾臣民之赤誠、常爾臣民與共在。若夫情之所激、濫滋事端、或同胞排擠、互亂時局、為大道誤、如失信義於世界者、朕最戒之。宜舉國一家、子孫相傳、確信神州之不滅、念任重而道遠、傾總力於將來之建設、篤道義、鞏志操、誓發揚國體之精華、可期不後於世界之進運。爾臣民、其克體朕意!
日文原版
《終戰詔書》全文是以日文的漢文訓讀體寫成。當時天皇朗讀《終戰詔書》時,庶民難以理解其內容。原文如下:
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑒ミ、非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ、茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク。
朕ハ帝國政府ヲシテ、米・英・支・蘇四國ニ對シ、其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ。抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ、萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ、皇祖皇宗ノ遺範ニシテ、朕ノ拳々措カサル所。曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ、亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ、他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ、固ヨリ朕カ志ニアラス。然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閱シ、朕カ陸海將兵ノ勇戰、朕カ百僚有司ノ勵精、朕カ一億眾庶ノ奉公、各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス、戰局必スシモ好轉セス、世界ノ大勢亦我ニ利アラス。加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ、頻ニ無辜ヲ殺傷シ、慘害ノ及フ所、眞ニ測ルヘカラサルニ至ル。而モ尚交戰ヲ繼續セムカ、終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス、延テ人類ノ文明ヲモ破卻スヘシ。斯ノ如クムハ、朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ、皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ。是レ朕カ帝國政府ヲシテ、共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ。
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ、遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス。帝國臣民ニシテ、戰陣ニ死シ、職域ニ殉シ、非命ニ斃レタル者、及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ、五內為ニ裂ク。且戰傷ヲ負ヒ、災禍ヲ蒙リ、家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ、朕ノ深ク軫念スル所ナリ。惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ、固ヨリ尋常ニアラス。爾臣民ノ衷情モ、朕善ク之ヲ知ル。然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所、堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ、以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス。
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ、忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ、常ニ爾臣民ト共ニ在リ。若シ夫レ情ノ激スル所、濫ニ事端ヲ滋クシ、或ハ同胞排擠、互ニ時局ヲ亂リ、為ニ大道ヲ誤リ、信義ヲ世界ニ失フカ如キハ、朕最モ之ヲ戒ム。宜シク擧國一家、子孫相傳ヘ、確ク神州ノ不滅ヲ信シ、任重クシテ道遠キヲ念ヒ、總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ、道義ヲ篤クシ、志操ヲ鞏クシ、誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ、世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ。爾臣民、其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ。
現代日語譯文
私は深く世界の大勢と日本の現狀について考え、非常の手段によってこの事態を収拾しようと思い、忠義で善良な國民に通告する。
私は日本政府に米國、英國、中國、ソ連に対してポツダム宣言を受け入れることを通告させた。
そもそも日本國民の安全を確保し世界の國々とともに栄えることを喜びとすることは、先祖から行ってきたことであって、私もそのように努力してきた。先に、米國英國に宣戦布告した理由も、日本の政治的経済的自立と東亜の安定を願ってのものであって、他國の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではない。しかしながら、四年間の戦爭で、われわれ陸海軍將兵の勇敢な戦闘や、官僚氰務員の勤勉、一億國民の努力、それぞれ最善を盡くしたにもかかわらず、戦爭における狀況は芳しくなく、世界の情勢も我々には不利に働いている。それだけではない。敵は、新たに殘虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、何の罪もない非戦闘員を多く殺傷し、その被害はまったく図り知れない。それでもなお戦爭を継続すれば、最終的には日本民族の滅亡を招き、そうして人類文明も破壊されることになってしまうだろう。このような事態になったとしたら、私はどうしてわが子とも言える多くの國民を保ち、先祖の霊に謝罪することができるだろうか。これこそが政府にポツダム宣言に応じるよう命令した理由である。
私は日本とともに終始、東亜の植民地解放に協力した友好國に対して、遺憾の意を表せざるを得ない。日本國民で戦場で沒し、職場で殉職し、悲慘な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると體中が引き裂かれる思いがする。さらに戦場で負傷し、戦禍にあい、家や職場を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。思うに、これから日本の受けるであろう苦難は、いうまでもなく大変なものになる。國民の負けたくないという気持ちも私はよく知っている。しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで將來のために平和を実現しようと思う。
私は、ここに國體(天皇制)を守り通して、忠義で善良な國民の真心を信頼し、いつも國民とともにある。もし、感情的になって爭い事をしたり、國民同士がいがみあって、國家を混亂に陥らせて世界から信用を失うようになることを私は犟く懸念している。 國民よ、どうか団結して子孫ともども固く、神國日本の不滅を信じ、道は遠いが責任の重大さを自覚し、総力を將來の建設のために傾け、道義心や志操を固くして、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように努力しなければならない。あなた方國民はどうか私の気持ちを酌んで理解してほししい。
天皇の署名と印璽(ぎょめいぎょじ
昭和二十年八月十四日