星野富弘

星野富弘

2010年 1970年 2010年

星野 富弘(ほしの とみひろ、1946年4月24日 - )は、日本の詩人・畫家
群馬県勢多郡東村(現・みどり市)に生まれる。
1970年 群馬大學を卒業し。中學校に體育教師になるが、
クラブ活動の指導中、頸髄を損傷、手足の自由を失う。
1972年 群馬大學病院入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める。
1974年 病室でキリスト教の洗禮を受ける。
1979年 入院中、前橋で最初の作品展を開く。 退院。
1981年 結婚。雑志や新聞に詩畫作品や、エッセイを連載
1982年 高崎で「花の詩畫展」。
以後、全國各地で開かれる詩畫展は、大きな感動を呼び現在も続いている。
1991年 群馬県勢多郡東村に村立富弘美術館開館。ブラジル各都市で「花の詩畫展」、現在も継続中。
1994年 ニューヨークで「花の詩畫展」。
2000年 ハワイで2度目の「花の詩畫展」。
2001年 サンフランシスコ?ロサンゼルスで花の詩畫展。
2003年 ワルシャワ國立博物館での「バリアフリーアート展」に招待出品。
2005年 4月、富弘美術館新館開館。
2006年 5月、蘆北町立星野富弘美術館開館 
6月、群馬県名譽県民となる
2010年 11月、[[富弘美術館の入館者600萬人を超える
現在も詩畫や隨筆の創作を続けており、また國內外で「花の詩畫展」が開かれている。
【文若紗譯】
1946年 出生於群馬縣勢多郡東村。日本的詩人・畫家。
1970年 畢業於群馬大學。
本來是一位中學體育教師,但是在進行俱樂部活動指導時損傷了頸椎,造成四肢癱瘓。
1972年 在群馬大學醫院住院期間,開始以口代手,銜筆寫文作畫。
1974年 在病房接受基督教洗禮。
1979年 住院期間,在前橋舉辦首次作品展。出院。
1981年 結婚。在雜誌和報紙連載詩畫作品和散文詩。
1982年 在高崎舉辦“花之詩畫展”。
之後在全國各地舉辦作品展。展出至今未停,引起了強烈的反響。
1991年 設在群馬縣勢多郡東村的村立富弘美術館開館。
在巴西各城市舉辦“花之詩畫展”,至今未停。
1994年 在紐約舉辦“花之詩畫展”。
2000年 在夏威夷舉辦第二次“花之詩畫展”。
2001年 在舊金山和洛杉磯舉辦“花之詩畫展”。
2003年 應邀在華沙國立博物館舉辦的“無障礙藝術展”中展出作品。
富弘美術館的參觀人數達460萬人。
2005年 4月,富弘美術館新館開館。
2006年 5月,蘆北町立星野富弘美術館開館。
6月,成為群馬縣的名譽縣民。
2010年 11月,富弘美術館的參觀人數已超過600萬人。
直到現在,詩畫和隨筆的創作仍在繼續,並且在國內外舉辦「花之詩畫展」。

著作[編集]

『愛、深き淵より。』(1981年、立風書房、ISBN 4651140068 絕版)
『四季抄 風の旅』(1982年、立風書房、ISBN 4651110118)
『花の詩畫集 鈴の鳴る道』(1986年、偕成社、ISBN 4039632907)
『かぎりなくやさしい花々』(1986年、偕成社、ISBN 4036341308)
『銀色のあしあと』(三浦綾子との対談)(1988年、いのちのことば社、ISBN 4264021979)
『花の詩畫集 速さのちがう時計』(1992年、偕成社、ISBN 403963540X)
『花の詩畫集 あなたの手のひら』(1999年、偕成社、ISBN 4039637607)
『新版 愛、深き淵より。』(2000年、立風書房、ISBN 4651140165)
『花の詩畫集 花よりも小さく』(2003年、偕成社、ISBN 403963800X)
『山の向こうの美術館』(2005年、富弘美術館、ISBN 4039638409)
『たった一度の人生だから』(日野原重明との対談)(2006年、いのちの言葉社、ISBN 4264024684)
『風の詩』(2010年、學研パブリッシング、ISBN 405404466)
『種蒔きもせず』(2010年、偕成社、ISBN 403963920)

富弘美術館[編集]

富弘美術館
詳細は「みどり市立富弘美術館」を參照
1991年、東村(當時)草木湖のほとりに、星野富弘の作品を展示する村立富弘美術館が開館した。 ふるさと創生資金を活用し、使われなくなっていた福祉施設を改築して、美術館にしたものである。
この頃すでに、全國各地で開催されていた「花の詩畫展」やテレビ番組、また教科書に掲載された隨筆などによって、星野富弘の名は広く知られていたことから、富弘美術館は開館當初から多くの入場者が訪れ、2002年には入館者が400萬人を超えるまでになった。2005年新富弘美術館建設國際設計競技を経て、舊館の隣に新館の建設に著手、2005年4月16日に新しい富弘美術館が開館した。

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