遠藤喜一

遠藤 喜一(えんどう よしかず、明治24年(1891年)8月8日——昭和19年(1944年5月3日)日本海軍軍人,海軍大將。

遠藤 喜一
(えんどう よしかず、明治24年(1891年)8月8日-昭和19年(1944年)5月3日)
は、日本の海軍軍人。
最終階級は海軍大將。

経歴

海軍少將遠藤喜太郎の長男として東京に生れる。學習院を経て、1911年に海軍兵學校(39期)を卒業し、1912年、海軍少尉に任官。1917年から翌年にかけて海軍大學校乙種學生、続けて炮術學校高等科に學ぶ。巡洋艦「常磐」分隊長、戦艦「朝日」分隊長、戦艦「長門」副炮長などを経て、1923年、海軍大學校甲種第21期を卒業した。その後、呉海兵団分隊長、呉鎮守府參謀、海軍大學校教官、軽巡洋艦「長良」副長、ドイツ駐在武官、「鬼怒」艦長、侍従武官などを経て、1937年に海軍少將に升進。さらに、ドイツ勤務を経て、橫須賀鎮守府參謀長、総力戦研究所長等を歴任する。太平洋戦爭中は第1遣支艦隊司令長官を経て第九艦隊司令長官に就任。しかし太平洋の制海権が米軍に奪われた1944年5月、第9艦隊司令部はニューギニアのホーランディアで玉砕。戦死後、海軍大將に升進した。妻、育子は陸軍大將內山小二郎の娘である。

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