內容介紹
グローバル化、民族紛爭、文化の越境など、文化についての見方や認識が複雑に入り組んだ狀況の中で、あらためて「異文化理解」について考え、その理解の有用性を論
じる。
【I 異文化へ向かう】
イデオロギーではなく文化という切り口で世界を理解することが20世紀最後の10年
で大きな主題になってきた。価値を形成し、人間の生き方を深く規定する文化を重く
捉え、その姿をきちんと見據えていかなければならない時代になった。
異文化に対しては憧れと軽蔑という二種類の接し方がある。「さまざまな異文化に
ついての憧れを何によるのか冷靜に判斷するとともに、大したことはないと片づけて
しまった文化についても、不當にも貶めて捉えてしまっているところがないかどう
か、改めて検討しなければならない」(40頁)。
【II 異文化を體験する】
自らのバンコクの僧修行體験をもとに、以下のようなことを説明する。「異文化を
理解する急所は境界の時間と空間である」(65頁)、「異文化自體が境界的である」
(66頁)、異文化を體験するとは異質な時間と空間を體験することである(67頁)、
異文化を理解することのひとつの意義は自文化を見直す機會になるということである
(73頁)、異文化理解の手がかりは儀禮である(74頁)。
【III 異文化の警告】
サイードが用いた「オリエンタリズム」という概念は大きな意味で異文化に対する
偏見を示す象徴的な言葉として使われてきた。異文化に対する無知や無知からくる偏
見は大きな困難?摩擦を生む。異文化へのアプローチに対する警告の言葉として「オ
リエンタリズム」は非常に重要である。
同様に、思考経済を助けるステレオタイプも過度の一般化という危険を伴う。
また、最近、グローバリゼーションと同時に、文明?文化の衝突(ハンチントン)
ということが言われる。しかし、どちらにも與せずに、その間を埋める異文化理解の
考えが必要である。
【IV 異文化との対話】
異文化理解には、自然的、社會的、象徴という3つのレベルがある。これらには共
通に理解できる部分と、その文化特有のものとして理解しなければならないものとが
あるが、象徴のレベルの理解がもっとも困難である。この象徴レベルこそその文化特
有の現象であり、かつ、文化の翻訳が困難な部分である。また、異文化理解は「遅い
情報」によって初めて理解できるという面がある(拙速は禁物)。
純粋な文化というものは存在しない。すべて混成文化であり、その混成度の違いに
注目することが異文化理解につながる。
文化を制するものは世界を制する。そして、現代ではさまざまな異質な文化をもつ
人々が集まらなければ、良い文化は育たない。
アジアでは伝統文化の破壊と喪失の反動として、自文化の発見が大きな課題として
浮上してきた。しかしここには自文化中心主義に陥る危険がある。大切なのは自文化
を通して異文化理解に到達することである。