影片信息
【影片名稱】:生きる
【中文譯名】:留芳頌;活著
【英文譯名】:Living
【影片國家】:日本
【影片類別】:劇情
【影片語言】:日語
【影片導演】:藤田明二
【原著編劇】:黑澤明;橋本忍;小國英雄
【新版修改】:市川森一
【參考原著】:黑澤明作品『生きる』
【首播日期】:2007年9月9日 日本
【領銜主演】:松本幸四郎;深田恭子;山田明郷;小野武彥;北村一輝;岸部一徳
製作人 Produced by:Sojiro Motoki ....producer
原創音樂 Original Music:早坂文雄Fumio Hayasaka
攝影 Cinematography:Asakazu Nakai
藝術指導 Production Designer:So Matsuyama
副導演/助理導演 Assistant Director:
Hisanobu Marubayashi ....chief assistant director
Teruo Maru ....assistant director
劇情簡介
【日文】
渡辺勘治(松本幸四郎)は、市役所の市民課課長。いつものように自転車で役所に行くと、自分の席で黙々と書類にハンコを押す日々を送っている。そこには生きる目的、生きる情熱など微塵も感じられない、ただ無為に日々を過ごしているだけにしか見えない。だから、ゴミの不法投棄でゴミ溜めのようになっている市の所有地に対する市民の抗議が來ても
、一言「土木課」と言うだけで処理してしまう。大野(小野武彥)、坂井(西村雅彥)ら部下たちも、そんな勘治の対応にまったく不審を抱かない。
抗議にやってきた市民たちはさまざまな部署をたらい回しにされたあげく、再び市民課へ。ついに怒りを爆発させ助役(岸部一徳)のもとへ乗り込もうとするが、坂井らが必死になって押しとどめる。が、勘治はそんな騒動を知る由もなかった。身體の不調を訴え、病院で精密検査を受けるが、醫師(沢村一樹)からすい臓がんと宣告されていたからだ。醫師によるともはや手遅れ…。勘治はショックで歩くこともできなくなり…。
息子の光男(東根作壽英)がまだ幼いころに妻を亡くした勘治。以來、彼の生き甲斐はたった一人の息子だった。日々成長していく息子に喜びを露にしていた若いころ、いじめられていた光男を助けに行ったこともあった。しかし、成長し一枝(畑野ひろ子)と結婚すると、同居してはいるものの老いた父のことなど顧みなくなってしまった。それどころか勘治の退職金を當てにしてマンションなど買おうとする始末。勘治はそんな息子夫婦に病気のことが言い出せない。
役所にも行かず、晝間から飲めない酒を口にする勘治。フラフラと街をさまよっていると、偶然、優樹(北村一輝)という青年と知り合う。高級車を販売する派手な優樹になぜか自らががんに冒され、余命いくばくもないことを告白してしまう。ここにある500萬円を使って…。自分には使い方もわからないので…。優樹はそんな勘治の言葉に従い、勘治を夜の街へと連れ出していく。酒、女、違法ギャンブル…。これまでに無縁だった世界に目もくらむような驚きを覚える勘治。ふと立ち寄った小さなジャズバーで勘治はピアノをバックに歌い始める。
「いのち短し 戀せよ乙女…」。絞り出すような勘治の歌聲を耳にした優樹は、いつしか勘治と亡き父の面影を重ね合わせていた。優樹と別れた勘治は偶然、市民課に勤務していた部
下のサチ(深田恭子)と出くわす。退職願にハンコを、というサチと喫茶店で語り合った勘治は、彼女のまばゆいばかりの活力に魅せられ1日を共に過ごすうち、再び息子・光男への愛情を取り戻す。自宅に戻った勘治は思い切って自らの病を息子夫婦に打ち明けようとするが、サチと一緒のところを目撃した一枝は年若い戀人と誤解。光男からも激しく非難され、勘治は打ちのめされる。
自分はこれからどう生きたらいいのか。サチがゼンマイ仕掛けのおもちゃを作っているだけでも楽しい、という言葉を聞き、自分にも何か出來ることが…と考える勘治。そうだ、役所でもやれば出來る。ただやる気になれば…。翌日、役所に復帰した勘治は生まれ変わったように行動を開始する。あのゴミ不法投棄現場へ。唖然とする課員を尻目に勘治は庁舎を飛び出していった…。5カ月後、勘治の通夜が自宅で行われていた。ゴミであふれた土地は勘治の盡力で公園に生まれ変わっていた。助役らが帰った後、そんな勘治の奮闘ぶりを振り返る課員たち。木村(ユースケ・サンタマリア)は公園を作ったのは助役らではなく勘治の力だ、と力說するが、大野らは言い過ぎだと切り舍てる。
しかし、あの勘治の情熱はどこから來たのか。課員たちは勘治の行動を一つ一つ思い起こし、実は勘治は自らの死期を悟っていたのではないか、だからあそこまで、と思うようになる。やがて雪降る公園で一人歌を歌いながらブランコに乗る勘治を目撃したという巡査(ラサール石井)がやってきた。あまりに楽しそうに歌う勘治に、巡査はつい聲をかけそびれたという。「命みじかし、戀せよ乙女…」。 間違いない、やはり勘治は死期を悟っていたのだ。勘治は立派だった、自分たちもやるぞ。そんな課員たちの聲を
聞きながら、父の真実を初めて知った光男は一人涙にくれていた。數日後、市役所の市民課には以前と変わらぬ無気力な課員たちがいた。そんな同僚を目の當たりにし失望する木村。役所からの帰り道、勘治が作った公園で楽しそうに游ぶ人々を見ながら今は亡き勘治への思いをはせるのだった。
【中文】
1.影片開頭,一群市民來市政府市民課反映排污問題,市民課把問題踢給公園部門,公園部門踢給交通部門,皮球這樣輪番在市府所有基層部門之間踢了一圈後,又返回市民課,而那個埋頭於連篇累牘的卷宗之中面容愁苦蒼老的市民課長,就是渡邊。此時畫外音為觀眾介紹了渡邊先生,這個三十年沒有請過一天假,如同行屍走肉的傢伙,實際上早已經死了二十年,他生活的唯一目的,就是保住飯碗,“因為這個世上,保住飯碗的最好方法,就是什麼也不做。”而那個市政廳各部門之間互相推諉,不主動解決問題的場景,就是這種生存哲學的最好體現,個人決不能超越群體而存在,所以,部門職能這個碩大的陰影成了個體無為的最好藉口。
影片中,渡邊得知自己胃癌已經晚期後,生命的虛無和死亡的陰影整個地覆蓋了他的心靈,他曾想在自己的親人那裡得到安慰,可到頭來卻發現兒子兒媳只是在意他的退休金,他和兒子之間的關係,也早已冷漠僵化到了一定地步;他也試著放縱自己的身心,在麻醉和縱慾中忘卻一切,但是,酒醒後更覺虛無痛苦,縱慾後靈魂更易墜入無底深淵,醜陋的面目連他自己都感到害怕;後來,在和那個向他辭職的年輕女下屬的交往中,他漸漸被她鮮活的,快樂的生命所觸動,在她已經厭煩他的糾纏的時候,渡邊痙攣著面孔對她說:“你為什麼這么不可思議地活著,我也想像你那樣活著,我這個木乃伊”她回答他只是吃飯睡覺而已,“只是吃飯睡覺嗎?那生命的意義何在?”渡邊困惑地說。她被他歇斯底里的神情嚇著了,拿出她在工廠里做的玩具兔子,回答他:“我製作它們的時候,會想像自己和全
日本的小孩一起玩。”在他們說話的時候,餐廳里有一大群開生日宴會的年輕人,當渡邊幡然醒悟往樓下奔去的時候,所有的人都在唱生日快樂,這給我們強烈的渡邊重生的信號!
渡邊終於在死前做了一件實實在在的事,就是影片開頭市民反映的社區污水問題,他在本來因積污帶來疾病流行的貧民社區修建了一個公園,在修建的過程中,他排除所有的困難,幹勁十足,本來快泯滅的人性重又散發光芒,他逐漸得到了社區民眾的擁戴,在快要完工的公園裡,下起大雪,他坐在鞦韆架上,平靜地唱起了那隻歌謠:人生是短暫的,少女們,墜入愛河,在盛開的紅色從你的嘴唇退去之前,在你的激情,冷卻之前,你們這些人,誰能知道沒有明天……
影片細節
【一】
在渡邊獲得自我的救贖之前,有兩個事件堪稱重要,如前所述。當人生命將盡,去日的回憶就紛至沓來,在渡邊的眼中,兒子就是往事的化身符號,在他的眼前,又出現了妻子死後,他獨自一人撫養兒子的一幕幕場景,在追憶中,他深情地呼喚自己兒子的名字,此時樓上的房間裡答應了一聲,他激動地往樓上爬,但是卻傳來兒子漫不經心的命令,他讓渡邊關好大門,在兒子懷疑他與年輕女職員之間有私情,嚴厲地訓斥他的時候,本來要告訴兒子自己病情的話咽回了肚子裡,在親情里尋找安慰的路阻斷了。
遇見年輕放蕩的小報專欄作家後,他們一起在縱情聲色之中尋求麻醉,影片給我們展示了聲色犬馬的眾生相,但是,渡邊尋找出路的靈魂卻不能認同這一派喧鬧,在爵士舞廳,眾人歡歌笑語後,鋼琴師問他還要聽點什麼,他點了那首“人生是短暫的。”在樂聲中,眾人又開始跳起舞來,但是隨著渡邊蒼老悲涼的聲音響起,所有人卻都驚異地沉默下來,在歌聲中,渡邊已淚流滿面。
在和作家回程的車上,兩個妓女坐在旁邊,一個在數錢,另一個在對著化妝鏡忸怩作態,離開了喧鬧背景的幾個人,都顯得疲憊醜陋,渡邊下車小便,作家迎上前去,兩人分別看清了對方的臉,作家嚇得後退了幾步,鏡頭此時俯拍,渡邊的臉陰暗麻木
,充滿了死亡之色。 渡邊後來的重生向我們證明了一點,不要祈望在外部世界得到安慰和救贖,無論是在“部門”裡面行屍走肉的生活,還是放蕩麻醉,甚至是親情愛情,都不能讓我們得到最根本的靈魂的安寧,救贖首先應該從自我開始,從內部開始,生命的要義,就會在不斷的追尋與行動中顯現出來……
【二】影片的細節,極其準確精微地反映了人的性格,心靈的轉變,同時,又具有暗示性的含義,另外,黑色的幽默竟然也一直存在於冷峻的敘事之中。 從渡邊的動作,體態,甚至衣服的款式,料子,我們大致就能猜到那是一個什麼樣的傢伙,他像是果戈理在《套中人》中描寫的那類把自己包裹很嚴實的人,了無生趣,循規蹈矩,每天晚上把自己的西服褲子折好,放在枕頭底下壓著,幾乎不買新帽子。在醫院檢查的場景中,巧妙地敘事角度,既引人發笑又讓人心寒,渡邊在候診時和一位高深莫測的傢伙聊起來,他告訴渡邊胃癌的具體症狀,“當你把上周吃的東西都嘔吐出來的時候,你也就只有六個月可活了。”而且醫生一定不會告訴病人實情,他只會把胃癌說成普通的胃潰瘍……當這個傢伙開始說的時候,渡邊就開始心驚肉跳,渡邊的表情反映和後來醫生說的話(和那個傢伙說的一字不差)都讓人發笑,但是又不由得可憐這個倒霉蛋。當他回到家中,習慣性的把自己的褲子放在枕頭壓著的時候,突然之間悲哀湧上心頭,他一頭鑽進被窩裡哭起來,此時鏡頭搖上,牆上的兩張獎狀提示他三十年來兢兢業業的工作全都沒有意義,生命被虛度了,在後來與年輕的女下屬的交往之中,她無意中說:“三十年工作沒有一點錯誤,您至少可以休息六個月!”在渡邊聽來,這一語雙關的含義,又是直接刺中他的心事,女職員的辭職信,他仍然一如既往地糾纏形式,他指出了格式的錯誤,當她走的時候,他看見她棉襪上的破洞
,於是就到店裡買了一雙送她……這些非常能顯示人物心理,性格的流暢的細節在影片裡凝聚成為了現實主義洪流。 影片多次出現俯拍渡邊面孔的特寫鏡頭,也由於特殊的用光,在黑白的畫面里,他顫抖,蒼白,疲憊的內心也就得到了外化的表現。
【三】渡邊修建公園的事跡,影片沒有直接表現,而是通過葬禮上的所有人的對話和回憶中顯現出來,這樣,該片的批判現實的力量,進一步達到高潮,虛偽冷漠的市長的發言,市政各部門代表曲意逢迎的態度,對比聞訊趕來弔喪悲痛萬分的市民,嘲諷不言而喻,渡邊個人獲得了救贖,但是“部門”卻把他的努力劃歸名下,市長強調渡邊的努力如果離開部門職能而存在是荒謬的,記者卻暗示說渡邊是因為對這個論調不滿而選擇自殺在自己修建的公園裡的,市長走後,市民課的同事,都紛紛猜測他轉變的動因何在。他的死,除了觸動了一個哽咽得說不出話來的職員外,留給眾人的似乎只有談資和職位變動了,而下一場踢足球遊戲,仍將無休無止的進行下去,沒有人意識到,人生是短暫的!
角色介紹
松本幸四郎 Koshiro Matsumoto ....渡邊勘治
市役所市民課課長。
酒も菸草もやらず、30年間無遅刻無欠勤を続けてきた。とはいうものの、仕事に情熱を傾けてきたわけでなく、日々書類にただハンコを捺してきた。存在感のなさについたあだ名はミイラ。すべては妻を早くに亡くし男手一つで育ててきた息子のためだ。突然、末期の膵臓がんと宣告され、これまでの自らの人生と向き合うことに。
北村一輝 Kazuki Kitamura ....優樹
高級車販売店を経営。
ひょんなことから勘治と知りあい、末期がんであることを知らされると、勘治の願いを聞き入れる形で夜遊びに連れ回す。
深田恭子 Kyôko Fuk
ada ....小田切早知市役所市民課職員。
やる気のない市民課をシニカルに見つめる元気娘。市役所を辭め、おもちゃ工場に勤めるようになる。日々生き生きと過ごす姿が、末期がんの勘治を刺激することに。
西村雅彥 Masahiko Nishimura ....坂井
市役所市民課職員。
市民課では市民から直接抗議を聞く窓口を擔當。上司との板挾みに合い、苦しい立場に追い込まれることも。
渡邊一計Ikkei Watanabe ....小原
市役所市民課職員。
市民課の中でも目立たないタイプ。気が弱いのか、自らの意見を言うときも獨り言のようにブツブツとつぶやく。
山田明鄉 Meikyo Yamada ....齊藤
市役所市民課職員。
市民課の中では大野系長に次ぐ存在か。勘治の欠勤に顏をほころばすなど出世欲も。
小野武彥 Takehiko Ono ....大野
市役所市民課系長。
市民課のナンバー2だが、やる気がないのは他の課員同様。
岸部一德Ittoku Kishibe....助役
市民の前ではいい顏をするが、実は何もしない典型的な役人。
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早前看了「留芳頌」和「天國與地獄」,翻拍的「天國與地獄」劇情比原作出色,當中的改編令故事更完整,我忘了舊版里有沒有男主角被助手出賣,不過新版的男主角贖金沒法取回,後遭公司高層迫走,比起舊版男主角好像沒有改變過,新版更能展現人性的光輝。 遭執達吏封屋,新版裡頭老闆開了一家賣手造鞋的小店營生,女主角由少奶奶變成普通家庭主婦,兩人恩愛如昔,新版改動令結局較為溫馨。
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