日文簡歷

安井 仲治(やすい なかじ、 -)は、戦前の日本を代
表する寫真家の1人。関西で活躍した。
安井洋紙店の長男として生まれ、裕福な家庭に育った。 10代半ば頃から寫真を始め、1922年には、浪華寫真倶楽部に入會。その後、研展も含めて、繰り返し、寫真展で入選を果たし、また、浪華寫真倶楽部でも、代表格のメンバーとして活躍し、若くして関西寫壇に欠かせない寫真家となった。1928年には「銀鈴社」結成、1930年には「丹平寫真倶楽部」參加。
1942年、腎不全のため、神戸の病院にて、38歳で死去した。
作品

安井作品は、多彩を極め、初期のピクトリアリスムから、ストレートフォトグラフィ、フォトモンタージュ、街角のスナップにまで及ぶ。枠にとらわれない自由な撮影対象の選択をし、それに対応しうる確実な撮影技術をもっており、その中で、技巧に走らない、人間的な作品を數多く殘した。 安井の早世を惜しむ聲は多く、もし彼が戦後も活躍したならば、日本の寫真界も、少し変わっていたであろう、という者もいる。
なお、森山大道が、安井を敬愛し、私淑していることはよく知られている(森山には『仲治への旅』という寫真集がある)。また、あの頑固な土門拳も、安井を高く評価していたという。
代表作
「流氓(るぼう)ユダヤ」シリーズ(後述)
「山根曲馬団」のシリーズ
「水」、「斧と鎌」など
主要展覧會
安井仲治展/兵庫県立近代美術館・西武百貨店コンテンポラリーアートギャラリー/1987年
安井仲治展/ワタリウム/1993年
安井仲治展/渋谷區立松濤美術館・名古屋市美術館/2004年~2005年
「流氓ユダヤ」について [編集]
1940年、杉原千畝在リトアニア領事の発行した通過ビザによりヨーロッパ各國のユダヤ人難民が日本に亡命し、神戸に一時滯在していた(河豚計畫も參照)。安井は丹平寫真倶楽部の仲間である椎原治、田淵銀芳、河野徹、手冢粲(漫畫家・手塚治虫の父)らとともに彼らを撮影、共同で「流氓ユダヤ」シリーズとして発表した。なお、當時少年であった手塚治虫もこの時同行していたという。
參考文獻
『安井仲治寫真作品集』、1942年(國書刊行會から2005年に復刻)。
兵庫県立近代美術館・西武百貨店コンテンポラリーアートギャラリー『安井仲治展カタログ』、1987年。
「特集「安井仲治と1930年代」」、寫真雑志『デジャ=ヴュ』12號、フォトプラネット発行、河出書房新社、1993年(1993年のワタリウムの展覧會の展覧會カタログ)。
『フォトミュゼ 安井仲治 モダニズムを駆けぬけた天才寫真家』新潮社、1994年。
『安井仲治』(『日本の寫真家・第9巻』)、岩波書店、1999年。
『安井仲治寫真集』(名古屋市美術館、渋谷區立松濤美術館、共同通信社/編集。2004年から2005年にかけての大回顧展の展覧會カタログを一般書籍として出版)、共同通信社、2004年。
作品集




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