教育經歷
山形県酒田市出身。酒田市立松原國小校・酒田市立酒田第三中學校・日本大學山形高等學校→仙台育英學園高等學校を経て福島大學卒業後、2008年11月までスズキ陸上競技部に所屬していた(後述)。
國小校2年生から陸上を始める。國小校5年生で走幅跳4m46をマークする。6年生では5m18という記録を殘し、「驚異の天才少女」として注目を集める。中學校進學後も活躍を続け、1年生の時に12歳年齢別世界記録となる5m97をマークし、全國中學校體育大會陸上競技女子共通走幅跳でも優勝する(発育差の大きい中學生の大會において、1年生が優勝することは稀である)。池田はこの後、走幅跳で3連覇という金字塔を打ち立てた。加えて、3年時には走幅跳、100メートルハードル、100メートルジュニアハードルの3種目で日本中學記録を樹立する。
日大山形高校進學後、走幅跳で高校1年の年に行われたアトランタオリンピックの參加標準記録を目指すも、慣れない下宿生活などで調子を崩し、その年のベスト記録は5m85と前年より30cm以上も落ち込んでしまう。父親が仙台育英高校のコーチに就任したのを機に同校に転校して再起を図るが、結局一度もインターハイを制覇することはできなかった。高校最後の全國大會である國民體育大會こそ優勝したが、高校3年間のベスト記録は6m14にとどまり(ただしこの記録も高校トップクラスの好記録である)、またハードルでも、中學時代の記録を更新することはなかった。
競技資料
高校卒業後は福島大學に進學し競技を続ける。そこで父親から育成を托された川本和久監督のもと、大學2年から技術面の改良に著手する。それまでの踏み切りと同時に両腳を前方へ投げ出す「かがみ跳び」(『久美子ちゃんジャンプ』と呼んでいたそうである)から、「シザース」(空中で腳を回転させる跳躍技術)への移行を試みた。
また、體質改善にも積極的に取り組み、好物のチョコレートを斷ち、野菜中心の食生活に切り替えて7kgの減量に成功した。これが功を奏し、その秋の日本インカレで5年ぶりに自己記録を更新する6m29を跳び優勝する。日本ジュニア選手権では6m46(+2.7)の好記録をマークして優勝。その年チリ・サンディエゴで行われた世界ジュニア選手権に出場。100メートルハードルで5年ぶりに自己記録更新、走幅跳では6m43の日本ジュニア記録(當時、現在は中野瞳の6m44)をマークし銅メダルを獲得した。そして2001年、さらに飛躍し自己記録を連発する。
日本選手権では、従來の日本記録(6メートル61)を大幅に上回る6m78の跳躍を見せる。しかし花岡麻帆が同大會で6m82を跳び、日本記録保持者にはなれなかった(この後も、池田と花岡は世界大會代表がかかった日本選手権で數センチ差の接戦を何度も見せていった(後述))。同年の世界陸上競技選手権大會(エドモントン大會)代表に選出され出場、予選を通過し11位に入る(長距離以外の女子選手が世界大會の決勝に進むことは少ない)。また、ユニバーシアードでは銅メダル獲得。
競技史
2003年(平成15年)、パリ世界選手権に出場。
2004年(平成16年)、世界室內選手権に出場。アテネオリンピックには出場できなかった。
2005年(平成17年)、日本選手権で花岡を押さえて優勝し、ヘルシンキ世界選手権に出場。マカオで行われた東アジア競技大會では見事に優勝した。
2006年(平成18年)、左太もも裏肉離れのためモスクワ世界室內選手権を欠場するが、5月に靜岡國際陸上でシーズン初戦ながら2007年世界陸上競技選手権大會參加標準記録A(6m70)突破となる6m75の大會新記録を樹立して優勝し、IAAFグランプリ大阪大會では6m86の日本新記録(2005年世界ランキング6位相當)を樹立。並み居る世界の強豪たちを抑えて優勝した。これにより本人も目標としてきた日本女子初の7mジャンプが現実味を帯び始めた。
2006年(平成18年)、ドーハアジア競技大會に出場し、6m81を跳び、アジア大會のこの競技で日本人36年ぶりの金メダルを獲得。
2007年(平成19年)4月、織田乾雄記念國際陸上競技大會にて、100m障害で日本歴代2位となる13秒02をマーク。
2007年(平成19年)8月、世界陸上競技選手権大會(大阪大會)に出場。男子短距離の朝原宣治と共に、日本選手団81人の代表として主將を務める。女子走幅跳にて決勝進出を狙うも、6m42と奮わず、予選敗退した。
2008年(平成20年)7月6日、南部忠平記念陸上競技大會で6m70の大會新記録で優勝し、悲願の五輪內定を獲得。苦しんで摑んだ北京への切符に、記者會見では感涙で頬を濡らした。同日、北京五輪代表選手二次発表で代表入りを果たした。
2008年(平成20年)8月19日、北京オリンピックに出場したが、6m47の記録(2回目の記録。1回目は6m44、3回目はファウル。出場42人中20位、上位12名が予選通過)に終わり、予選敗退。ちなみに予選1位のブリトニー・リース(米國)は6m87、12位のチェルシー・ハモンド(ジャマイカ)は6m60であった。
2008年(平成20年)11月、鈴鹿サーキットでレース運営の仕事に攜わる2歳年下の井村俊雄(棒高跳で高校総體2連覇、大學選手権優勝の元陸上選手)と結婚。生活拠點の変更に伴い11月末でスズキを退社。
2008年(平成20年)アイディアメンタルトレーニングセンターに所屬。
2009年(平成21年)1月10日、陸上競技擔當記者を集めての公開練習で、「2012年ロンドンオリンピックを目指す」と現役続行を表明。また結婚に伴い登録名を「井村久美子」と改名することも並せて発表。サニーサイドアップとマネジメント契約を結んだ。
主要成績
2000年(平成12年) 世界ジュニア 走幅跳 3位
2001年(平成13年) 東アジア大會 走幅跳 2位
2001年(平成13年) ユニバーシアード 走幅跳 3位
2001年(平成13年) 世界陸上 走幅跳 11位
2002年(平成14年) アジア選手権 走幅跳 5位
2002年(平成14年) 日本インカレ 走幅跳 優勝
2002年(平成14年) 日本選手権 走幅跳 2位
2002年(平成14年) アジア大會 走幅跳 7位
2003年(平成15年) 日本選手権 走幅跳 優勝、100メートルハードル 2位
2003年(平成15年) 世界陸上 走幅跳グループA 11位
2004年(平成16年) 世界室內選手権 走幅跳 出場
2004年(平成16年) 日本選手権 走幅跳 2位、100メートルハードル 優勝
2005年(平成17年) IAAFグランプリ大阪大會 走幅跳 4位
2005年(平成17年) 日本選手権 走幅跳 優勝、100メートルハードル優勝
2005年(平成17年) 世界選手権 走幅跳 出場
2005年(平成17年) アジア選手権 走幅跳 優勝
2006年(平成18年) IAAFグランプリ大阪大會 走幅跳 優勝
2006年(平成18年) アジア大會 走幅跳 優勝
2007年(平成19年) ワールド・スーパーツアー ドーハ大會 走幅跳 優勝
2007年(平成19年) 世界陸上大阪大會 走幅跳 予選敗退
2008年(平成20年) 北京オリンピック 走幅跳 予選敗退
2010年(平成22年) 日本選手権(香川県) 走幅跳 優勝
2010年(平成22年) 南部記念(北海道) 走幅跳 優勝
2010年(平成22年) 第7回田島直人記念陸上競技大會 走幅跳 優勝
2010年(平成22年) 水戸招待陸上 兼水戸市陸上競技大會 走幅跳 優勝
2010年(平成22年) アジア大會 走幅跳 5位