三島由紀夫十代書簡集

年9月14日)青年三島の文章は、早熟という言葉には収まりきらない光芒(こうぼう)を放っている。 太平洋戦爭の真っただ中に、日本の片隅で後世を動かすことになる気高い言葉の交流が続けられていたのである。 その多くは創作に関するもので、二人は驚くほどの真率さで互いの作品を批評し合い、切磋琢磨し合った。

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三島由紀夫が學習院時代、文芸部の5年先輩で夭折(ようせつ)した美青年東文彥に宛てた書簡集。若々しい生、文學への情熱、悅びにあふれ、その流麗な文章には後の絢爛たる三島文學の萌芽が見られる。
「岡本かの子の短編をすこし読みましたが、宿命といふものの束縛と桎梏にあへいでゐる生のあでやかさが、一枚の絵羽織をみるやうでした」(昭和16年3月19 日)「堀(辰雄)氏は現在の青年作家のうちで、時局を語らない唯一の人ともいへませうが、なんといつたつてお先走りの文報連中より、大東亜大會などで大獅子を買って出る白痴連中より、數千倍の詩人、したがつて數千倍の日本人と思ひます。差し出がましいやうで恐縮ですが、貴下もどうか堀氏の御心構でやっていただきたうございます。そしてその究極に花咲く文學こそ、真に日本をして日本たらしめる、真の日本文學であらうことを信じぬわけにはまゐりません」(昭和18 年9月14日)
青年三島の文章は、早熟という言葉には収まりきらない光芒(こうぼう)を放っている。晩年における私兵集団「楯の會」の結成、昭和45年の割腹自殺事件につながる作品「憂國」は、単なる戦後民主主義批判というよりも、三島の精神の深部にある芸術性から発せられていたように思われてくるのだ。
愛と美に傾倒する青年たちの交流は、不穏な時代に流れた一筋の清流であった。太平洋戦爭の真っただ中に、日本の片隅で後世を動かすことになる気高い言葉の交流が続けられていたのである。今も日本のどこかでかくのごとき文通が行われているのだろうか。(松本肇子)
內容(「BOOK」データベースより)
三島は學習院時代、文芸部の五年先輩である東文彥に宛てて多數の手紙を書き送った。その多くは創作に関するもので、二人は驚くほどの真率さで互いの作品を批評し合い、切磋琢磨し合った。文學のみならず、青春のさまざまな話題に觸れた三島の手紙は強靱な批評精神に溢れ、不穏な戦時下にもかかわらず不思議な恩寵に彩られている。後年の豊かな稔りを予感させる興趣深い書簡集。新発見の書簡、66通一挙刊行

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