簡介
其早年跟三宅尚齋門人學朱子學,後專注易學,到了中老年後,主要注重日本的和歌及日本的典故資料編撰。在東京都開館授易。他的易學古今並用,在江戶時代開創出“易占派”。在當時他最重要的貢獻就是提倡簡單的“易占法”。
其一生專著易學文獻就達39種之多。他曾自信的把著作《古易斷》與清代李光地所著《周一折衷》相媲美。其所傳高足以“真勢中洲”和“松年羅洲”為代表。
日文介紹
新井 白蛾(あらい はくが、江戸中期の儒學者。名は祐登,字は謙吉,號は白蛾,黃洲,古易館。江戸に生まれ,三宅尚斎の門人菅野兼山に師事して,朱子學を學ぶ。のちに京都に移り,易學を究める。寛政3(1791)年,金沢藩主前田治脩に招かれ,藩校明倫堂の創設につくし,その學頭となり,その地に沒する。易學は占筮を中心とし,略筮法を平易に說き,一派を確立した。和歌をよく詠み,わが國の典詁にも通暁していた。易に関する『古周易経斷』(全10巻),『古易対問』などのほか,『老子形気』(全5巻),『論語彙解』(全10巻)など,多くの著書がある。
三宅尚斎の門人である菅野兼山に師事して、朱子學を學ぶ。22歳の時に江戸で教え始めるが當時は荻生徂徠の門流が風靡していたので京都に移り、易學を究め「古易の中興」を唱える。寛政3年(1791年)に加賀藩主の前田治脩に招かれ、藩校となる明倫堂の創設に関わり、その學頭となり亡くなるまでその地位につく。
文獻作品
『古周易経斷』10巻・『古易対問』・『易學類編』・『易學小筌』・『廣易學必読』・『周易精蘊』・『左國易說』・『古易一家言』・『周易本義考』・『梅花易詳註』・『周易啟蒙考』『老子形気國名解』5巻 『論語彙解』10巻 『牛馬問』 『古文孝経發』 『國小疏義』 『詩書通考國字箋』 『蒙求發』 『滄溟尺牘児訓』 『唐詩児訓』 『唐詩絕句解』
詩詞徵引
春日訪故友幽居 新井白蛾
遲日春風憶舊遊 漢朝冠蓋忘封侯
無行山徑不花處 村巷彈弦有意不 七夕
晩來樹頭蟬 松風調夜弦
銀河涼氣漲 始覺素秋天 雪夜會何某亭
弄物文哉六出花 主人掃路欲烹茶
芬々弦上幽蘭曲 疑是會游王母家 夏夜
新月影微銀漢鮮 庭中夜色乍催弦
不知嶺外引雷雨 吹送好風更冷然 新柳吟
梅花新柳拂殘雪 一段春光先百花
細雨濃含簾外靜 不知何處奏琴家