沿革
1888年為了審議憲法草案,根據樞密院官制和樞密院事務規程創設了樞密院(明治21年4月30日敕令第22號)。在1889年(明治22年)公布的《大日本帝國憲法》( だいにっぽんていこくけんぽう)中,也明確規定其為天皇( てんのう)的最高諮詢機關。首任議長為伊藤博文( いとう ひろぶみ)。
長期以來,樞密院是幕後掌控日本國家大政方針的顯要部門,尤其是在元老山縣有朋長期經營下,成為其派閥的大本營。在政黨政治時代,樞密院是藩閥-官僚政治的牙城。但在1931年“九·一八事變”之後,日本國內政黨勢力衰退,軍部勢力逐漸抬頭,樞密院的影響力也日漸式微,最後隨著日本國憲法的施行,於1947年結束了其歷史使命。
組織
樞密院設議長1名、副議長1名、顧問官24-28名(定員為12人以上,1890年(明治23年)25人、1903年(明治36年)28人、1913年(大正2年)24人)、書記官長1人、書記官3人(樞密院官制2條)。書記官長和書記官屬於附屬官,不是合議機構的成員,不參加會議投票表決。
顧問官的任命資格為40歲以上、國家元勛的人物中選用。另外,各國務大臣都自然成為顧問官,可以參加表決(樞密院官制11條)。在東京的成年親王也可以參加會議。議長、副議長、顧問官屬親任官,書記官長屬敕任官,書記官屬奏任官。議長的宮中席次為第3位,列在大勛位和內閣總理大臣之後,位在國務大臣、元帥府元帥、朝鮮總督等之上。後來“重臣會議”成立,樞密院議長亦作為重臣參加。
“成年的皇族”主要指“成年的親王”,昭和時代,昭和天皇的皇弟秩父宮雍仁親王、高松宮宣仁親王、三笠宮崇仁親王三人以及皇叔祖閒院宮載仁親王(親王宣下)皆是現役軍人身份,因此在戰前和戰時都沒有參加樞密院會議。明治時代,雖然有山縣有朋、大山岩、西鄉從道等現役軍人被任命為樞密顧問官,大正時代不再任用現役軍人。1946年(昭和21年),三笠宮崇仁親王作為皇族議員參與樞密院對日本國憲法草案的審議。
作用
大日本帝國憲法第56條規定了“樞密顧問根據樞密院官制規定,答覆天皇之諮詢,審議重要之國務”。
諮詢
向樞密院進行諮詢的事項如下:
※皇室典範、皇室令中屬於樞密院許可權的事項
※憲法條款的草案及質疑
※憲法附屬法令的相關草案及質疑
※樞密院官制及事務規程的改正
※緊急敕令、緊急財政處分
※國際條約的締結
※戒嚴的宣告
※教育的相關重要敕令
※行政各部的官制等與官規有關的敕令
※榮典、恩赦等相關敕令
※其他被諮詢的事項
許可權
樞密院的許可權劃分為皇室機關的許可權和國家機關的許可權兩類。
首先,皇室機關的許可權主要分為議決事項和諮詢事項。
議決事項包括在天皇喪失履行職權的能力的情況下設定攝政的決定(舊皇室典範第19條);在天皇喪失親理大政的情況下,決定攝政或攝政繼任者的順序的變更(舊皇室典範第25條)。在樞密院召開皇族會議時,臨時作為國家的最高決策機構。
回應諮詢的事項包括:皇位繼承順序的變更、太傅的選用和退任、世伝御料的編入解除和世伝御料所屬土地上物權的設定。皇室典範的修正增補、皇族的臣籍降下、年號的制定、皇族失蹤的宣告等等。
上述事項均要等待諮詢提出後再拿出意見,不能自主地展開進行。
其次,國務機關的諮詢同樣不能自主展開進行,對於議決是否採納取決於輔弼大臣。交付樞密院審議的事項(樞密院官制6條)主要有:憲法的條款或憲法附屬法律、敕令相關草案的質疑、戒嚴的宣告、緊急敕令和關於處罰規則的敕令、列國交涉的條約和承諾、樞密院官制及事務規程的修改,以及其他臨時諮詢的事項。需要指出的是,除行政裁判法以外的許可權爭議的裁判也屬於樞密院的許可權範圍。
樞密院禁止參與施政(樞密院官制第8條),也不得與大臣以外的人進行公務上的交涉(樞密院事務規程第3條)。
與政府的關係
一般當樞密院與政府的政策發生對立時,多數通過對話協商,由某一方作出讓步。但1927年為救濟台灣銀行,第1屆若槻內閣作出的緊急敕令案被樞密院以19對11否決,從而導致了內閣總辭職。這是唯一一次由樞密院壓倒政府內閣的實例。儘管如此,但實際上並沒有明文規定被樞密院否決的情況下,內閣必須總辭職。一種觀點認為,這次偶然事件只是由於首相的軟弱造成的。
例如歷史上還有一次類似的事件。1930年,濱口雄幸內閣要求批准倫敦海軍條約。當時,希望批准條約的政府(民政黨執政)為一方,樞密院、軍部、鳩山一郎等為主的在野黨政友會為對立的另一方。當時有人主張,內閣斷然實行軍縮是干涉天皇統帥權的行為,樞密院內部也積極開展反對濱口內閣的行動。但是,濱口首相得到了元老西園寺公望和輿論的支持,堅決抵制樞密院,甚至拒絕了樞密院核心人物伊東巳代治的調查要求。當時以東京日日新聞為首的各大報紙也都猛烈抨擊樞密院。最後樞密院一方只能讓步,批准了這一條約。
雙方的對立導致更多的衝突,明治、大正時代,樞密院以山縣有朋為後盾策劃了一系列反政黨的行動,即使是在山縣有朋死後的1928年(昭和3年)的批准非戰公約等問題上依然如此。
山本權兵衛內閣時期對樞密院進行改革,將樞密顧問官的定員從38人減至24名,弱化了樞密院的力量。到了東條英機內閣時期,樞密院基本喪失了權能。
廳舍
樞密院建築位於東京都皇居內,建於1921年,二戰後供最高裁判所廳舍和皇宮警察廳舍使用,1984年(昭和59年)停用荒廢,2006年(平成18年)重新啟用修繕,2012年(平成24年)完工,2013年(平成25年)再度作為皇宮警察本部的廳舍使用至今。
歷任樞密院議長
01、伊藤博文(1888年(明治21年)4月30日 - 1889年(明治22年)10月30日)
02、大木喬任(1889年(明治22年)12月24日 - 1891年(明治24年)6月1日)
03、伊藤博文(1891年(明治24年)6月1日 - 1892年(明治25年)8月8日)
04、大木喬任(1892年(明治25年)8月8日 - 1893年(明治26年)3月11日)
05、山縣有朋(1893年(明治26年)3月11日 - 1894年(明治27年)12月18日)
06、黑田清隆(1894年(明治27年)3月17日 - 1900年(明治33年)8月25日)
07、西園寺公望(1900年(明治33年)10月27日 - 1903年(明治36年)7月13日)
08、伊藤博文(1903年(明治36年)7月13日 - 1905年(明治38年)12月21日)
09、山縣有朋(1905年(明治38年)12月21日 - 1909年(明治42年)6月14日)
10、伊藤博文(1909年(明治42年)6月14日 - 1909年(明治42年)10月26日)
11、山縣有朋(1909年(明治42年)11月17日 - 1922年(大正11年)2月1日)
12、清浦奎吾(1922年(大正11年)2月8日 - 1924年(大正13年)1月7日)
13、濱尾新(1924年(大正13年)1月13日 - 1925年(大正14年)9月25日)
14、穗積陳重(1925年(大正14年)10月1日 - 1926年(大正15年)4月8日)
15、倉富勇三郎(1926年(大正15年)4月12日 - 1934年(昭和9年)5月3日)
16、一木喜德郎(1934年(昭和9年)5月3日 - 1936年(昭和11年)3月13日)
17、平沼騏一郎(1936年(昭和11年)3月13日 - 1939年(昭和14年)1月5日)
18、近衛文麿(1939年(昭和14年)1月5日 - 1940年(昭和15年)6月24日)
19、原嘉道(1940年(昭和15年)6月24日 - 1944年(昭和19年)8月7日)
20、鈴木貫太郎(1944年(昭和19年)8月10日 - 1945年(昭和20年)4月7日)
21、平沼騏一郎(1945年(昭和20年)4月9日 - 1945年(昭和20年)12月3日)
22、鈴木貫太郎(1945年(昭和20年)12月15日 - 1946年(昭和21年)6月13日)
23、清水澄(1946年(昭和21年)6月13日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
歷任樞密院副議長
01、寺島宗則(1888年(明治21年)5月10日 - 1891年(明治24年)9月10日)
02、副島種臣(1891年(明治24年)9月10日 - 1892年(明治25年)3月11日)
03、東久世通禧(1892年(明治25年)3月17日 - 1912年(明治45年)1月4日)
04、芳川顯正(1912年(明治45年)1月9日 - 1917年(大正6年)3月20日)
05、清浦奎吾(1917年(大正6年)3月20日 - 1922年(大正11年)2月8日)
06、濱尾新(1922年(大正11年)2月15日 - 1924年(大正13年)1月13日)
07、一木喜德郎(1924年(大正13年)1月14日 - 1925年(大正14年)3月30日)
08、穗積陳重(1925年(大正14年)3月30日 - 1925年(大正14年)10月1日)
09、岡野敬次郎(1925年(大正14年)10月1日 - 1925年(大正14年)12月23日)
10、倉富勇三郎(1925年(大正14年)12月28日 - 1926年(大正15年)4月12日)
11、平沼騏一郎(1926年(大正15年)4月12日 - 1936年(昭和11年)3月13日)
12、荒井賢太郎(1936年(昭和11年)3月13日 - 1938年(昭和13年)1月29日)
13、原嘉道(1938年(昭和13年)2月3日 - 1940年(昭和15年)6月24日)
14、鈴木貫太郎(1940年(昭和15年)6月24日 - 1944年(昭和19年)8月10日)
15、清水澄(1944年(昭和19年)8月10日 - 1946年(昭和21年)6月13日)
16、潮惠之輔(1946年(昭和21年)6月13日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
樞密顧問官
樞密顧問官自1888年樞密院設立,至1947年廢止,總計有200名。
明治時代
大木喬任(1888年(明治21年)4月30日 - 1889年(明治22年)12月24日)
川村純義(1888年(明治21年)4月30日 - 1904年(明治37年)8月12日)
福岡孝弟(1888年(明治21年)4月30日 - 1919年(大正8年)3月5日)
佐佐木高行(1888年(明治21年)4月30日 - 1910年(明治43年)3月2日)
寺島宗則(1888年(明治21年)4月30日 - 1888年(明治21年)5月10日)
副島種臣(1888年(明治21年)4月30日 - 1891年(明治24年)9月10日)
佐野常民(1888年(明治21年)4月30日 - 1892年(明治25年)7月14日)
東久世通禧(1888年(明治21年)4月30日 - 1890年(明治23年)10月24日)
吉井友實(1888年(明治21年)4月30日 - 1891年(明治24年)4月22日)
品川彌二郎(1888年(明治21年)4月30日 - 1891年(明治24年)6月1日)
勝海舟(1888年(明治21年)4月30日 - 1899年(明治32年)1月21日)
河野敏鐮(1888年(明治21年)4月30日 - 1892年(明治25年)3月14日)
土方久元(1888年(明治21年)5月10日 - 1893年(明治26年)3月9日)
吉田清成(1888年(明治21年)5月10日 - 1891年(明治24年)8月3日)
元田永孚(1888年(明治21年)5月10日 - 1891年(明治24年)1月22日)
鳥尾小彌太(1888年(明治21年)6月14日 - 1890年(明治23年)5月28日)
野村靖(1888年(明治21年)11月20日 - 1891年(明治24年)3月26日)
黑田清隆(1889年(明治22年)10月25日 - 1892年(明治25年)8月8日)
青木周藏(1889年(明治22年)11月8日 - 1889年(明治22年)12月24日)
大隈重信(1889年(明治22年)12月24日 - 1891年(明治24年)11月12日)
榎本武揚(1890年(明治23年)5月17日 - 1891年(明治24年)5月29日)
田中不二麿(1890年(明治23年)6月27日 - 1891年(明治24年)6月1日)
井上毅(1890年(明治23年)7月19日 - 1893年(明治26年)3月7日)
尾崎忠治(1890年(明治23年)8月21日 - 1905年(明治38年)10月16日)
柳原前光(1890年(明治23年)11月18日 - 1891年(明治24年)7月25日)
大山岩(1891年(明治24年)5月17日 - 1892年(明治25年)8月8日)
東久世通禧(1891年(明治24年)7月21日 - 1892年(明治25年)3月17日)
海江田信義(1891年(明治24年)9月5日 - 1906年(明治39年)10月27日)
寺島宗則(1891年(明治24年)9月10日 - 1893年(明治26年)6月7日)
西鄉從道(1892年(明治25年)1月28日 - 1892年(明治25年)6月30日)
山田顯義(1892年(明治25年)1月28日 - 1892年(明治25年)11月14日)
品川彌二郎(1892年(明治25年)3月11日 - 1892年(明治25年)6月30日)
陸奧宗光(1892年(明治25年)3月14日 - 1892年(明治25年)8月8日)
副島種臣(1892年(明治25年)6月8日 - 1905年(明治38年)1月31日)
榎本武揚(1892年(明治25年)8月8日 - 1894年(明治27年)1月22日)
佐野常民(1892年(明治25年)8月8日 - 1902年(明治35年)12月7日)
高島鞆之助(1892年(明治25年)8月8日 - 1895年(明治28年)9月27日)
樺山資紀(1892年(明治25年)8月8日 - 1894年(明治27年)7月17日)
田中不二麿(1892年(明治25年)8月17日 - 1909年(明治42年)2月1日)
河野敏鐮(1893年(明治26年)3月7日 - 1893年(明治26年)11月14日)
仁禮景范(1893年(明治26年)3月11日 - 1900年(明治33年)11月22日)
野村靖(1893年(明治26年)11月10日 - 1894年(明治27年)10月15日)
細川潤次郎(1893年(明治26年)11月10日 - 1923年(大正12年)7月20日)
河瀨真孝(1894年(明治27年)2月10日 - 1919年(大正8年)9月29日)
西園寺公望(1894年(明治27年)5月10日 - 1894年(明治27年)10月3日)
中牟田倉之助(1894年(明治27年)7月17日 - 1916年(大正5年)3月30日)
大鳥圭介(1894年(明治27年)11月10日 - 1911年(明治44年)6月15日)
三好重臣(1894年(明治27年)12月18日 - 1897年(明治30年)9月11日)
九鬼隆一(1895年(明治28年)6月25日 - 1931年(昭和6年)8月18日)
高崎正風(1895年(明治28年)6月25日 - 1912年(明治45年)2月28日)
鳥尾小彌太(1895年(明治28年)6月25日 - 1905年(明治38年)4月13日)
樺山資紀(1896年(明治29年)6月2日 - 1896年(明治29年)9月20日)
西德二郎(1897年(明治30年)3月18日 - 1897年(明治30年)11月6日)
杉孫七郎(1897年(明治30年)9月11日 - 1920年(大正9年)5月3日)
蜂須賀茂韶(1897年(明治30年)11月6日 - 1918年(大正7年)2月11日)
清岡公張(1898年(明治31年)3月18日 - 1901年(明治34年)2月25日)
平田東助(1898年(明治31年)11月9日 - 1898年(明治31年)12月2日)
高島鞆之助(1899年(明治32年)2月14日 - 1916年(大正5年)1月11日)
伊東巳代治(1899年(明治32年)3月28日 - 1934年(昭和9年)2月19日)
品川彌二郎(1899年(明治32年)7月15日 - 1900年(明治33年)2月26日)
岩倉具定(1900年(明治33年)2月13日 - 1910年(明治43年)6月16日)
野村靖(1900年(明治33年)3月9日 - 1910年(明治43年)1月24日)
林友幸(1900年(明治33年)4月16日 - 1907年(明治40年)11月8日)
黑田清綱(1900年(明治33年)4月16日 - 1917年(大正6年)3月23日)
西德二郎(1901年(明治34年)11月25日 - 1912年(明治45年)3月13日)
青木周藏(1901年(明治34年)11月25日 - 1906年(明治39年)1月7日)
山縣有朋(1903年(明治36年)7月13日 - 1905年(明治38年)12月21日)
松方正義(1903年(明治36年)7月13日 - 1917年(大正6年)5月2日)
近衛篤麿(1903年(明治36年)12月4日 - 1904年(明治37年)1月2日)
樺山資紀(1904年(明治37年)10月21日 - 1922年(大正11年)2月8日)
稅所篤(1905年(明治38年)4月28日 - 1911年(明治44年)3月2日)
伊藤博文(1906年(明治39年)1月9日 - 1910年(明治43年)6月14日)
小村壽太郎(1906年(明治39年)1月9日 - 1912年(大正元年)11月26日)
金子堅太郎(1906年(明治39年)1月9日 - 1942年(昭和17年)5月16日)
末松謙澄(1906年(明治39年)3月3日 - 1920年(大正9年)10月6日)
清浦奎吾(1906年(明治39年)4月13日 - 1917年(大正6年)3月20日)
曾禰荒助(1906年(明治39年)4月13日 - 1907年(明治40年)9月21日)
南部甕男(1906年(明治39年)7月3日 - 1923年(大正12年)9月19日)
加藤弘之(1906年(明治39年)12月10日 - 1916年(大正5年)2月9日)
本田親雄(1907年(明治40年)9月21日 - 1910年(明治43年)3月1日)
青木周藏(1908年(明治41年)2月6日 - 1914年(大正3年)2月16日)
都築馨六(1909年(明治42年)2月23日 - 1923年(大正12年)7月5日)
大給恆(1909年(明治42年)2月23日 - 1911年(明治44年)1月6日)
山縣有朋(1909年(明治42年)6月14日 - 1910年(明治43年)11月17日)
香川敬三(1909年(明治42年)6月16日 - 1915年(大正4年)3月18日)
渡邊千秋(1909年(明治42年)6月16日 - 1911年(明治44年)4月1日)
牧野伸顯(1909年(明治42年)11月17日 - 1921年(大正10年)2月19日)
芳川顯正(1910年(明治43年)2月3日 - 1912年(明治45年)1月9日)
松平正直(1910年(明治43年)10月14日 - 1915年(大正4年)4月20日)
三浦梧樓(1910年(明治43年)10月14日 - 1924年(大正13年)1月22日)
船越衛(1910年(明治43年)10月14日 - 1913年(大正2年)12月23日)
濱尾新(1911年(明治44年)8月14日 - 1922年(大正11年)2月15日)
花房義質(1911年(明治44年)12月25日 - 1917年(大正6年)7月9日)
周布公平(1912年(明治45年)1月9日 - 1913年(大正2年)7月31日)
菊池大麓(1912年(明治45年)5月8日 - 1917年(大正6年)8月20日)
北垣國道(1912年(明治45年)5月8日 - 1916年(大正5年)1月16日)
大正時代
曾我佑準(1915年(大正4年)4月27日 - 1923年(大正12年)12月28日)
小松原英太郎(1916年(大正5年)1月13日 - 1919年(大正8年)12月26日)
穂積陳重(1916年(大正5年)1月26日 - 1925年(大正14年)3月30日)
安広伴一郎(1916年(大正5年)3月4日 - 1924年(大正13年)6月22日)
岡部長職(1916年(大正5年)4月8日 - 1925年(大正14年)12月27日)
黑木為楨(1917年(大正6年)4月27日 - 1923年(大正12年)2月4日)
有地品之允(1917年(大正6年)4月27日 - 1919年(大正8年)1月17日)
一木喜德郎(1917年(大正6年)8月14日 - 1924年(大正13年)1月14日)
久保田讓(1917年(大正6年)11月3日 - 1936年(昭和11年)4月14日)
富井政章(1918年(大正7年)4月18日 - 1935年(昭和10年)9月14日)
芳川顯正(1919年(大正8年)3月13日 - 1920年(大正9年)1月10日)
井上勝之助(1919年(大正8年)3月13日 - 1929年(昭和4年)11月3日)
平山成信(1919年(大正8年)10月27日 - 1929年(昭和4年)9月25日)
石黑忠悳(1920年(大正9年)2月17日 - 1936年(昭和11年)12月24日)
有松英義(1920年(大正9年)2月17日 - 1927年(昭和2年)9月25日)
珍田舍巳(1920年(大正9年)10月22日 - 1929年(昭和4年)1月16日)
松岡康毅(1920年(大正9年)10月22日 - 1923年(大正12年)9月5日)
倉富勇三郎(1920年(大正9年)10月22日 - 1925年(大正14年)12月28日)
中村雄次郎(1922年(大正11年)2月15日 - 1928年(昭和3年)10月20日)
山縣伊三郎(1922年(大正11年)11月4日 - 1927年(昭和2年)9月24日)
山川健次郎(1923年(大正12年)2月26日 - 1931年(昭和6年)6月26日)
武井守正(1923年(大正12年)7月12日 - 1926年(大正15年)12月4日)
目賀田種太郎(1923年(大正12年)9月26日 - 1926年(大正15年)9月10日)
仲小路廉(1923年(大正12年)9月26日 - 1924年(大正13年)1月17日)
大森鍾一(1923年(大正12年)9月26日 - 1927年(昭和2年)3月3日)
黒田長成(1924年(大正13年)1月14日 - 1939年(昭和14年)8月14日)
古市公威(1924年(大正13年)1月14日 - 1934年(昭和9年)1月28日)
平沼騏一郎(1924年(大正13年)2月2日 - 1926年(大正15年)4月12日)
松室致(1924年(大正13年)4月5日 - 1931年(昭和6年)2月16日)
江木千之(1924年(大正13年)6月28日 - 1932年(昭和7年)8月22日)
內田康哉(1925年(大正14年)3月30日 - 1929年(昭和4年)6月26日)
八代六郎(1925年(大正14年)12月28日 - 1930年(昭和5年)6月30日)
櫻井錠二(1926年(大正15年)1月19日 - 1939年(昭和14年)1月28日)
田健治郎(1926年(大正15年)5月10日 - 1930年(昭和5年)11月16日)
荒井賢太郎(1926年(大正15年)10月2日 - 1936年(昭和11年)3月13日)
昭和時代
河合操(1927年(昭和2年)5月18日 - 1941年(昭和16年)10月11日)
石原健三(1927年(昭和2年)5月18日 - 1936年(昭和11年)9月4日)
齋藤實(1927年(昭和2年)12月17日 - 1929年(昭和4年)8月17日)
鐮田榮吉(1927年(昭和2年)12月17日 - 1934年(昭和9年)2月5日)
鈴木貫太郎(1929年(昭和4年)2月14日 - 1940年(昭和15年)6月24日)
石井菊次郎(1929年(昭和4年)2月14日 - 1945年(昭和20年)5月25日)
水町袈裟六(1929年(昭和4年)11月22日 - 1934年(昭和9年)7月10日)
岡田良平(1929年(昭和4年)11月22日 - 1934年(昭和9年)3月23日)
福田雅太郎(1930年(昭和5年)4月18日 - 1932年(昭和7年)6月1日)
有馬良橘(1931年(昭和6年)12月26日 - 1944年(昭和19年)5月1日)
原嘉道(1931年(昭和6年)12月26日 - 1938年(昭和13年)2月3日)
窪田靜太郎(1932年(昭和7年)1月27日 - 1946年(昭和21年)10月6日)
栗野慎一郎(1932年(昭和7年)1月27日 - 1937年(昭和12年)11月15日)
元田肇(1932年(昭和7年)1月27日 - 1938年(昭和13年)10月1日)
鈴木莊六(1932年(昭和7年)7月28日 - 1940年(昭和15年)2月20日)
石冢英藏(1934年(昭和9年)3月29日 - 1942年(昭和17年)7月28日)
阪本釤之助(1934年(昭和9年)3月29日 - 1936年(昭和11年)12月16日)
石渡敏一(1934年(昭和9年)3月29日 - 1937年(昭和12年)11月18日)
清水澄(1934年(昭和9年)6月15日 - 1944年(昭和19年)8月10日)
藤沢幾之輔(1934年(昭和9年)6月15日 - 1940年(昭和15年)4月3日)
林權助(1934年(昭和9年)7月17日 - 1939年(昭和14年)6月27日)
上山滿之進(1935年(昭和10年)12月9日 - 1938年(昭和13年)7月30日)
南弘(1936年(昭和11年)12月24日 - 1946年(昭和21年)2月8日)
田中隆三(1936年(昭和11年)12月24日 - 1940年(昭和15年)12月6日)
奈良武次(1937年(昭和12年)5月14日 - 1946年(昭和21年)4月17日)
荒木寅三郎(1937年(昭和12年)5月14日 - 1942年(昭和17年)1月28日)
松井慶四郎(1938年(昭和13年)2月3日 - 1946年(昭和21年)6月4日)
菅原通敬(1938年(昭和13年)2月3日 - 1946年(昭和21年)12月18日)
松浦鎮次郎(1938年(昭和13年)2月3日 - 1940年(昭和15年)1月16日)
潮惠之輔(1938年(昭和13年)12月6日 - 1946年(昭和21年)6月13日)
林賴三郎(1938年(昭和13年)12月6日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
深井英五(1938年(昭和13年)12月6日 - 1945年(昭和20年)10月21日)
真野文二(1939年(昭和14年)8月26日 - 1946年(昭和21年)10月17日)
二上兵治(1939年(昭和14年)8月26日 - 1945年(昭和20年)11月19日)
渡辺千冬(1939年(昭和14年)8月26日 - 1940年(昭和15年)4月18日)
大島健一(1940年(昭和15年)4月17日 - 1946年(昭和21年)4月17日)
小幡酉吉(1940年(昭和15年)4月17日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
竹越與三郎(1940年(昭和15年)4月17日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
三土忠造(1940年(昭和15年)7月24日 - 1946年(昭和21年)1月13日)
松浦鎮次郎(1940年(昭和15年)7月24日 - 1945年(昭和20年)9月28日)
伊澤多喜男(1940年(昭和15年)12月26日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
池田成彬(1941年(昭和16年)10月30日 - 1945年(昭和20年)12月18日)
南次郎(1942年(昭和17年)5月29日 - 1945年(昭和20年)3月29日)
泉二新熊(1942年(昭和17年)5月29日 - 1946年(昭和21年)4月17日)
平生釟三郎(1943年(昭和18年)4月28日 - 1945年(昭和20年)11月27日)
野村吉三郎(1944年(昭和19年)5月18日 - 1946年(昭和21年)6月13日)
百武三郎(1944年(昭和19年)9月1日 - 1946年(昭和21年)4月17日)
櫻內幸雄(1945年(昭和20年)5月19日 - 1946年(昭和21年)4月17日)
本庄繁(1945年(昭和20年)5月19日 - 1945年(昭和20年)11月20日)
芳澤謙吉(1945年(昭和20年)8月7日 - 1946年(昭和21年)4月17日)
河原春作(1945年(昭和20年)11月20日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
井坂孝(1945年(昭和20年)11月20日 - 1946年(昭和21年)6月13日)
美濃部達吉(1946年(昭和21年)1月26日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
遠藤源六(1946年(昭和21年)3月19日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
関屋貞三郎(1946年(昭和21年)3月19日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
幣原坦(1946年(昭和21年)3月19日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
大平駒槌(1946年(昭和21年)3月19日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
林毅陸(1946年(昭和21年)6月10日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
河本文一(1946年(昭和21年)6月10日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
西野元(1946年(昭和21年)6月10日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
松平恆雄(1946年(昭和21年)6月10日 - 1947年(昭和22年)3月27日)
樺山愛輔(1946年(昭和21年)6月10日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
藤沼莊平(1946年(昭和21年)7月12日 - 1947年(昭和22年)3月12日)
柳田國男(1946年(昭和21年)7月12日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
小坂順造(1946年(昭和21年)8月29日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
佐藤尚武(1946年(昭和21年)11月28日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
加藤正治(1947年(昭和22年)1月7日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
中川望(1947年(昭和22年)1月9日 - 1947年(昭和22年)5月2日)
八田善之進(1947年(昭和22年)1月9日 - 1947年(昭和22年)5月2日)