交通
2006年(平成18年)1月1日、原町市と相馬郡小高町および鹿島町が合併して誕生した。舊市町の區域ごとに地域自治區となっており、各々「原町區」「小高區」「鹿島區」に移行して住所に名稱をほぼ殘している。
當初、小高町・鹿島町・原町市の合併協定は飯舘村を含めた舊・行方郡(なめがたぐん)で行われ、新市名には「行方市」も候補に挙がっていた。ちなみに、合併が実施された前年の9月2日に茨城県にあった行方郡(読みも同じ)の3町が合併し、行方市が誕生している。
以前は浜通り地方北部の中心都市であった相馬市に代わり、現在は市內原町區に中心地が移るようになった。地方紙『福島民報』『福島民友』の2紙ともに支社を置いている。
國の重要無形民俗文化財に指定されている相馬野馬追が行われる。北泉海岸はサーフィンが盛んなことでも知られており、夏になると世界大會が開催される。SF映畫『戦國自衛隊』の撮影に使われ、市內の高校生がエキストラとして協力している。
関東大震災を最初に世界に伝えた原町區の原町無線塔は、高さ約200mで、當時アジアで最も高い建築物であった。しかし、老朽化などから1982年(昭和57年)に解體され、現在は原町區に1/10スケール14
自然[編集]
東は太平洋に面し、西は阿武隈高地に接する。
地形
主要な地形
山地:八森山、八丈石山、國見山
河川系:新田川、真野川、小高川、宮田川、太田川、水無川、はやま湖
近海・沿岸地形:北泉海岸
福島県內の地勢的かつ歴史的な地方區分である、浜通り・中通り・會津のうち、浜通り地方に屬し、その北東部に位置する。
cf. 福島県の地方區分図(參考):≪外部リンク≫“売卻農地情報”. (公式ウェブサイト). 福島県農業振興公社. 2011年6月24日閱覧。
福島県內の地方區分の一つである、相雙(そうそう)・いわき・県北・県中・県南・會津・南會津のうち、相雙地方に屬する。
cf. 福島県の地方區分図(參考):≪外部リンク≫“自動車稅住所変更申請”. ふくしま県市町村共同電子申請システム(公式ウェブサイト). 福島県. 2011年6月24日閱覧。
cf. 福島県の市町村全図 :≪外部リンク≫“地図上検索”. (公式ウェブサイト). 福島県. 2011年4月18日閱覧。
相馬市:北部で隣接。
相馬郡飯舘村:西部で隣接。
雙葉郡浪江町:南西部から南部にかけて幅広く隣接。
cf. ≪外部リンク≫“南相馬市”. (公式ウェブサイト). 日本郵便. 2011年6月24日閱覧。 cf. ≪外部リンク≫“南相馬市(福島県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年4月20日閱覧。
舊・市町の區域で3つの地域自治區が設定され、一部を除いて住所表示は市名に続けて區の名稱を付ける。
舊・相馬郡小高町→ 南相馬市小高區
舊・相馬郡鹿島町→ 南相馬市鹿島區
舊・原町市→ 南相馬市原町區
例 :原町市本町二丁目27番地→ 南相馬市原町區本町二丁目27番地
小高區と鹿島區にそれぞれ區役所を設定しているが、東京特別區や政令指定都市の區役所とは性質が異なり、実質は単なる市役所の支所として機能している。
舊・小高町役場→ 小高區役所
舊・鹿島町役場→ 鹿島區役所
舊・原町市役所→ 南相馬市役所(本庁)
※新暦導入以前(1872年以前)の日付は和暦による舊暦。丸括弧內は西暦で、1581年以前はユリウス暦、1582年以降はグレゴリオ暦。
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東北地方太平洋沖地震に伴って発生した津波に呑まれて壊滅した南相馬市街。2011年4月16日撮影。
津波に襲われた原町火力発電所。一部の燃料タンクが流失している。4月16日撮影。
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、南相馬市は小高區と鹿島區で震度6弱、原町區本町と原町區三島町で震度5弱を観測した。 さらにこの地殼変動が引き起こした津波が海岸線から約2km付近までの地域を呑み込み、壊滅させた。 小高區冢原字沼在住の自然環境調査員の目撃證言によれば、特に津波の第3波は大きく、海岸線に設けられた高さ十數メートルの防潮林を越えたという (なお、ごく一部の例外として屋敷林が住家[屋敷、母屋]を守った)。 原町火力発電所も津波の直撃を受け、死者1人、火災の発生(14日に発生)、機器損壊、8萬トン級の石炭船の沈沒等、多大な被害を受けた。
3月26日:桜井勝延市長が、動畫投稿サイトYouTubeを公式情報の発信源として活用し、生活物資が足りない被災地の窮狀を「兵糧攻め狀態だ」と、英語字幕付きで世界に訴えた(撮影日時:3月24日21時)。福島第一原子力発電所事故(東京電力)の放射能漏れによって屋內退避區域に指定された同市には食料・燃料等の救援物資が満足に屆かず( cf.福島第一原子力発電所事故#人々の言動)、政府や東京電力からの連絡・情報も不足しているとのことであり、この動畫は世界からの反響を得た(4月21日時點で再生回數35萬回を超えた)。
3月29日:この時點で南相馬市は、死者301人、行方不明者約1,180人、破壊された世帯約1,800。
4月7日:桜井勝延市長、YouTubeで市民向けに情報発信。
4月9日:この時點で、死者403人、行方不明者1,071人、避難者279人。
4月21日:アメリカのニュース雑志『タイム』(ニューヨーク・タイムズ)が、2011年版「タイム100(世界で最も影響力のある100人)」の一人に、先の原子力事故における日本政府の対応を動畫投稿サイト上で批判し、世界に広く支援を訴えた南相馬市長・桜井勝延を挙げた(日本人としては他に、宮城県南三陸町で患者の避難や治療に滅私の姿勢で盡力した內科醫・菅野武を挙げている)。
5月1- 2日:伝統行事「相馬野馬追」のために飼育されている馬28頭を、福島第一原発より20km圏(警戒區域)內から避難させる(特例措置であり、警戒區域內の家畜の移動は本來許可されない)。
6月1日:警戒區域內(福島第一原発より20km圏內)で、避難住民所有の自動車の各自持ち出しが、「全行程2時間以內」との制限つきで許可され、対象9市町村の第1弾として南相馬市民38人と川內村民21人が放射線防護服を著用して地域に入る。
7月20日:被災者向けの情報提供を主眼とした地上デジタルテレビ放送の実験局「南相馬チャンネル」が開局。
發展歷史
近世以前[編集]
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縄文時代前期中葉から中期末(約5500 - 約4000年前):浦尻貝冢の形成期。
古墳時代前期:現在の南相馬市原町區內にあたる地域に桜井古墳群が築造される。
伝・大同元年(806年):陸奧國行方郡にある文殊ヶ岳の山頂に高倉文殊堂が建立される(のち、麓の高倉村(現・原町區高倉)に移される)。
嘉暦元年(1326年):千葉一族の相馬重胤らが陸奧國行方郡に下向。小高城(在・小高區小高)を築いて居城とし、勢力を拡大。陸奧相馬氏の祖となる。
建武3年(1336年):北畠顕家率いる南朝勢に攻められ、北朝方の陸奧相馬氏は大敗。一族の多くが討ち死にするなか、小高城も落城する。
建武4年(1337年):帰國した相馬親胤が北畠顕家を破って自領を舊に復し、小高城も奪還する。
天正17年6月5日(1589年7月17日):伊達政宗が摺上原の戦いで蘆名義広に大勝し、南奧州に覇を唱える。陸奧相馬氏本領はこれにより、伊達氏と直接対峙する地勢となる。
慶長2年5月(1597年6月):相馬義胤が、280年間陸奧相馬氏の居城であった小高城を離れ、北に位置する牛越城(在・原町區牛越)を修築して入城する。
慶長6年(1601年):徳川家康の命を受けた伊達政宗が上杉領(上杉景勝)へ侵攻する際、相馬勢は伊達勢と連攜する(これが所領安堵につながったとされる)。
慶長7年10月(1602年11月):相馬利胤が本多正信や伊達政宗の取り成しを介して徳川家康から陸奧相馬氏の本領安堵を勝ち取り、これをもって相馬藩(相馬中村藩、中村藩)が成立する。
慶長16年12月(1611年12月):相馬利胤が中村城(相馬中村城。在・相馬市中村)を修築して當主居城(藩庁)とし、小高城を廃城とする。
承応元年(1652年)- 延寶元年(1673年):相馬忠胤治世下のこの頃、忠胤によって年中行事「相馬野馬追」に講武的色彩が加えられ、現在まで続く形式が確立される。
天明2年(1782年)- 8年(1788年):陸奧國全土を中心に天明の大饑饉が起こり、中村藩(相馬藩)も被害甚大。多くの領民が餓死あるいは逃散した。
近代以降[編集]
明治元年12月7日(1869年1月19日):陸奧國が4分立し、當地域は磐城國に屬することとなる。
明治4年7月14日(1871年8月29日):廃藩置県によって中村藩(相馬藩)が消滅し、磐城國に中村県が成立(當地域が所屬)。 cf.府藩県三治制#廃藩置県當日に存在した藩。 同年11月(1871年12月):磐城國のほぼ全域が磐前県(いわさきけん)に統合される(當地域が所屬)。
1872年(明治5年):野馬原の野馬が全て狩り獲られてしまい、伝統行事「相馬野馬追」が実施不可能となる。
1876年(明治9年)8月21日:第2次府県統合により、福島県(舊・二本松県)・若松県・磐前県が合併して新生の福島県が成立(當地域が所屬)。
1878年(明治11年)7月1日:相馬太田神社(在・原町區)等が相馬野馬追の再興に盡力し、內務省から開催の認可を得る。
1898年(明治31年)4月3日:原町(原町市本町(もとまち)の前身。現・南相馬市原町區本町。 cf.)で日本鉄道磐城線(JR常磐線の前身路線)原ノ町駅が、鹿島村(現・鹿島區)で同じく鹿島駅が開業。
1898年(明治31年)5月11日:小高町(現・小高區)で日本鉄道磐城線(現・JR常磐線)小高駅が、原町(現・原町區)で同じく磐城太田駅(開業時駅名:高駅)が開業。
1921年(大正10年)7月:原町(現・原町區)に原町無線塔が完成し、磐城無線電信局原町送信所が設定される。
1923年(大正12年)9月1日:磐城無線電信局原町送信所が関東大震災の第一報を無線通信によって世界中に打電する。
1930年(昭和5年)7月8日:小高町(現・小高區)にある大悲山の石仏が國の史跡に指定される。
1937年(昭和12年):原町(現・原町區本町)の事業として、新田川水系野手上川流域にある???村風兼(現・相馬郡飯舘村風兼)で、風兼ダム( cf.飯舘村#河川系。型式:アースダム)が竣工。
1948年(昭和23年)8月10日:小高町(現・小高區)で日本鉄道磐城線(現・JR常磐線)桃內駅が開業。
1955年(昭和30年):原町市(現・原町區)にある桜井古墳が、大冢初重率いる明治大學考古學研究室によって調査された結果、當時の知見において「日本列島で最も北に所在する、東北最大規模の前方後方墳である」として注目を浴びる。
1956年(昭和31年)11月7日:桜井古墳が國の史跡に指定される。
1958年(昭和33年):建設中であった東京タワー(同年10月14日竣工)が、原町無線塔の高さを上回る。
1960年代末(昭和40年代前半):相馬郡小高町と雙葉郡浪江町に跨る地域に、東北電力が原子力発電所の誘致を持ちかける。當時東北電力は女川原子力発電所の建設計畫も進めており、宮城県女川町へ原発と付隨する交付金や雇用等を取られてしまうという対抗心もあって小高町議會(當時)と浪江町議會は賛成したが、世に公害意識が芽生え始めた時期でもあり、長らく反対運動が続くことになる。1982年の雑志対談で示された概要図では原子爐は4基となっていた(のちの浪江・小高原子力発電所計畫)。
1982年(昭和57年)3月:老朽化のため、原町無線塔が解體される。
1982年(昭和57年)10月:解體された原町無線塔のミニチュア記念塔である憶・原町無線塔が完成。
1983年(昭和58年):范囲確認調査の結果、桜井古墳に周濠が確認される。
1988年(昭和63年)6月13日:桜井古墳の、周濠を含む地域の遺構が、國の史跡に指定(追加指定)される。
1994年(平成6年):原町市が「桜井古墳保全整備事業」に著手。
1997年(平成9年):原町市および鹿島町(現・原町區および鹿島區)で原町火力発電所が運転開始。
1998年(平成10年)4月17日:常磐自動車道の南相馬インターチェンジ、著工。
2003年(平成15年)5月18日:原町市が桜井古墳を史跡公園(福島県初の本格的史跡公園)として整備し、開園する。
2004年(平成16年):北泉海岸でサーフィンのアマチュア全國大會開催。
2005年(平成17年):北泉海岸でサーフィンの東日本プロ大會開催。
2006年(平成18年)10月4〜8日:北泉海岸で世界プロサーフィン連盟公認の「ワールド・クオリファイ・シリーズ」が開催される。
2006年(平成18年):原町區の浦尻貝冢が國の史跡に指定される。
2007年(平成19年)10月4日:磐城無線電信局原町送信所跡地に道の駅南相馬、開業。
2009年(平成21年):原町無線塔跡地に花時計(無線塔跡花時計)が設定される。
2011年(平成23年)3月1日:人口70,772人、世帯數23,653。
2011年(平成23年)3月11日:東日本大震災が発生し、南相馬市も被害甚大(※節を改めて詳述する)。
1889年(明治22年)4月1日:町村制施行により、行方郡鹿島村、真野村、八沢村、上真野村、原町村、太田村、高平村、大甕村、石神村、小高村、福浦村、金房村の12村が成立。
1896年(明治29年):行方郡が宇多郡と合併し、相馬郡となる。
1897年(明治30年):町制が施行され、原町村が原町となる。
1898年(明治31年)1月19日:小高村が町制施行し、小高町となる。 12月1日:町制施行により、鹿島村が鹿島町になる。
1954年(昭和29年)3月20日:原町・太田村・大甕村・高平村の1町3村が合併の上、市制を施行し、原町市となる。 3月31日:小高町・福浦村・金房村の1町2村が合併し、小高町となる。鹿島町・真野村・八沢村・上真野村が合併し、鹿島町となる。
1956年(昭和31年)9月30日:相馬郡より、石神村を編入する。
2006年(平成18年)1月1日:原町市および相馬郡小高町・鹿島町が合併し、 南相馬市が誕生。地域自治區となった舊市町は、それぞれ、原町區・小高區・鹿島區となる
城市概況
市長職務執行者:中野一徳(2006年1月1日 - 2006年1月29日 、舊・鹿島町長)
面積:398.50km²
人口:73,722人 男性:35,673人
女性:38,049人
世帯數:23,417世帯
人口密度:185.00人/km²
2006年(平成18年)1月1日時點。
島県立原町高等學校
福島県立相馬農業高等學校
福島県立小高工業高等學校
福島県立小高商業高等學校
私立松栄高等學校
中學校[編集]
南相馬市立原町第一中學校
南相馬市立原町第二中學校
南相馬市立原町第三中學校
南相馬市立石神中學校
南相馬市立鹿島中學校
南相馬市立小高中學校
國小校[編集]
南相馬市立原町第一國小校
南相馬市立原町第二國小校
南相馬市立原町第三國小校
南相馬市立高平國小校
南相馬市立大甕國小校
南相馬市立太田國小校
南相馬市立石神第一國小校
南相馬市立石神第二國小校
南相馬市立鹿島國小校
南相馬市立上真野國小校
南相馬市立真野國小校
南相馬市立八沢國小校
南相馬市立小高國小校
南相馬市立金房國小校
南相馬市立鳩原國小校
南相馬市立福浦國小校
福島県內の福島空港よりも、仙台空港のほうが利用しやすい。
中心駅 :原ノ町駅
東日本旅客鉄道(JR東日本) 常磐線 :桃內駅 - 小高駅 - 磐城太田駅 - 原ノ町駅 - 鹿島駅
隣接市町村への連絡 :常磐線
広范囲な連絡 :常磐線特急スーパーひたち
福島交通
新常磐交通
常磐自動車道 :南相馬IC
國道6號
國道114號
福島県道12號原町川俁線
福島県道34號相馬浪江線
福島県道49號原町浪江線
福島県道62號原町二本松線
福島県道74號原町海老相馬線
恐竜の足跡化石產出地
中生代ジュラ紀後期キンメリッジアン(en。約1億5570萬- 約1億5080萬年前)に屬する地層群であり、體長2m程度の獣腳類と見られる小型恐竜の足跡の生痕化石が、鹿島區小山田から発見されている。
浦尻貝冢(うらじり かいづか)
小高區浦尻に所在する、縄文時代前期中葉から中期末にかけて(約5500 - 約4000年前)形成された貝冢。國の史跡。
桜井古墳
前方後方墳としては郡山市の大安場古墳や山形県東置賜郡川西町の天神森古墳などとともに東北地方でも大規模な部類に屬している。周辺の古墳群との関系から「桜井古墳群1號墳」とも稱される。國の史跡。
相馬野馬追における神旗爭奪戦
神旗を持って羊腸の坂を駆け上がる騎馬武者(2005年7月24日撮影)
高倉文殊堂
空海によって大同元年(806年)に建立されたと伝えられる文殊堂。磐城國行方郡高倉村(現・南相馬市原町區高倉)。
相馬野馬追
東北六大祭りの一つであり、東北地方の夏祭りの魁(さきがけ)と見なされる祭事。南相馬市原町區で騎馬武者約500人の行進の後、雲雀ヶ原祭場地にて、古式甲冑競馬と神旗爭奪戦(■右の畫像)が繰り広げられる。古式甲冑競馬と神旗爭奪戦は明治時代以降の祭事である。* 相馬野馬追 野馬懸祭 :國の重要無形民俗文化財。
雲雀ヶ原
大悲山の石仏(薬師堂石仏、阿彌陀堂石仏、観音堂石仏) :國の史跡。
大悲山の大スギ :1955年(昭和30年)2月4日、県指定天然記念物。
小高城址(小高神社)
北泉海岸
海岸を埋め立てて造った、原町火力発電所の南側に続く砂浜海岸で、原町區にある。発電所の防波堤の反射波と直達波が合成されて大きな波が発生することから、サーフスポットとしても知られている。サーフィンの大會は、2004年(平成16年)にアマチュア全國大會、2005年(平成17年)に東日本のプロ大會、2006年(平成18年)10月4- 8日には、世界プロサーフィン連盟が公認する「ワールド・クオリファイ・シリーズ(WQS)」(2 star) が開催された。 cf.サーフィン#2006年日本開催の主な大會。* 北泉海水浴場* 原町シーサイドパーク
右田浜海水浴場
冢原海水浴場
村上海水浴場
憶・原町無線塔
解體された原町無線塔の1/10スケールのミニチュア記念塔として、1982年(昭和57年)10月に完成。
無線塔跡花時計
2009年(平成21年)、原町無線塔跡地に設定された花時計。 cf.憶・原町無線塔#周辺情報。
南相馬市博物館
南相馬市民文化會館
サテライトかしま :競輪場外車券売場。
みちのく鹿島球場
江戸時代以前の生まれ
相馬利胤 :武士(陸奧相馬氏當主。相馬中村藩初代藩主)。天正9年(1581年)、小高城生まれ。南相馬に居城を置いた最後の陸奧相馬氏當主(※相馬藩庁は相馬中村城)。
明治生まれ
鈴木安蔵 :法學者(憲法學者)、法制史家。1904年3月3日生まれ。
昭和生まれ
松鶴家千とせ :漫談家。司會者。1938年1月9日生まれ。
松岡佑子 :元・通訳、翻訳家(ハリー・ポッター・シリーズ日本語版翻訳者)。実業家。1943年9月10日生まれ。
桜井勝延 :政治家(現・南相馬市長)。アメリカのニュース雑志『タイム』から、2011年版「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた ( cf.)。1956年1月4日生まれ。
平忠彥 :元・オートバイロードレースライダー(世界グランプリ・ライダー)。1956年11月12日生まれ。
木幡初広 :騎手(JRA美浦トレーニングセンター所屬)。1965年6月14日生まれ。
牛渡葉月 :女子プロゴルファー。タレント。1973年7月28日生まれ。
西內洋行 :トライアスロン選手。1975年10月13日生まれ。
今井正人 :陸上競技選手(長距離走、マラソン)。1984年4月2日生まれ。
生年未確認
斎藤てるみ :歌手。
三上宏幸 :ヘアメイクアーティスト。
若松央樹 :テレビプロデューサー(フジテレビ)。
脇坂真人 :俳優(劇団四季所屬)。
江戸時代以前の生まれ
相馬重胤 :武士(陸奧相馬氏の祖。その子孫は代々(1611年まで)、小高城(在・小高區小高)を始めとする南相馬の城で出生する)。
その他の関連事象[編集]
電話の市外局番は0244で、相馬市および相馬郡町村と同一のエリア(原町MA)である。
^両市まではそれぞれ約75kmである。
^周濠(しゅうごう):古墳の周囲に掘られた堀のこと。
^“震度データベース検索”. (公式ウェブサイト). 気象庁 (2011年3月11日). 2011年4月16日閱覧。
^ a b“高倉文殊堂”. (公式ウェブサイト). 高倉文殊堂. 2011年6月6日閱覧。
^“原町市”. (公式ウェブサイト). 日本郵便. 2011年6月23日閱覧。
^初期の経緯については『原子力工業』1982年1月
^南相馬市公式ウェブサイトより。
^同年3月18日、総理府告示第93號「市町村の廃置分合」
^同年3月27日、総理府告示第219號「町村の廃置分合」
^同年3月27日、総理府告示第280號「町村の廃置分合」
^同日、総理府告示第516號「市村の廃置分合」
^2005年(平成17年)8月8日、総務省告示第852號「市町の廃置分合」
^“桜井古墳”. 國指定文化財等データベース(公式ウェブサイト). 文化庁. 2011年6月6日閱覧。
^“南相馬市博物館”. (公式ウェブサイト). 南相馬市博物館. 2011年4月20日閱覧。
“南相馬市”. (公式ウェブサイト). 南相馬市役所. 2011年4月20日閱覧。
“南相馬ポータル”. (公式ウェブサイト). 南相馬市. 2011年4月20日閱覧。
國土地理院、地形図閱覧システム “ウォッちず 地図閱覧サービス”. (ウェブサイト). 國土地理院. 2011年4月22日閱覧。
“地形図閱覧システム 2萬5千分1地形図名: 原町(福島)”. (公式ウェブサイト). 國土地理院. 2011年4月22日閱覧。
“地図上検索”. (公式ウェブサイト). 福島県. 2011年4月18日閱覧。福島県の市町村全図。